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マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)

 
川久保玲氏以上にメディアを嫌い、
世界一謎に包まれていると言われる伝説のトップデザイナー。
 
 
参考文献
OTB(マルジェラ親会社)公式サイト
Maison Margiela各公式メディア
 
 


 
 
 
 

生い立ちからゴルチエ時代・1990年代後半まで

 
■生年月日=
1957年生まれ
 
 
■国籍/出身=
ベルギー
 
 
 
 
マルタン・マルジェラ氏の顔写真
(非公式的なものではなく、イタリアファッション協会の会長であるカルロ・カパサ氏の公式インスタグラムに投稿されたもの)

 
 
 
1957年にブリュッセル付近に位置する
ベルギー中央部のルーバン(Leuven)という都市で誕生。
 
ベルギー北部に位置するアントワープの世界的な服飾/美術専門学校、
「アントワープ王立芸術アカデミー」にて
ドリスヴァンノッテンなど同世代の才能溢れる生徒達と服作りを学ぶ。
 
卒業後はパリの世界的デザイナー、
ジャンポール・ゴルチエのスタッフとして働きだした。
 
 
 
ゴルチエ氏のもとで様々な経験を積んだのち、
独立して1988年にジェニー・メイレンスという女性ビジネスパートナーと共に

  • メゾン・マルタン・マルジェラ(Maison Martin Margiela)

という自身の名を冠したブランドをスタート。
 
1989年には新設されたフランス系のデザイナー新人賞
「ANDAM Fashion Award」
で第一回のグランプリを獲得し、脚光を浴びる。
 
1990年前後の時期から早速、長く働いてきたパリで開催される
パリコレクションのプレタポルテ部門に参加。
 
 
ミニマリズム系のデザイナーとは対照的な
アヴァンギャルドで独創的な作風や
独特のビジネススタイルなどが高い評価を受け、
尊敬する川久保玲氏などと並ぶ世界的なデザイナーへと成長。
 
 
 

エルメスのデザイナーを兼任

 
そんな中、世界一の高級ブランドであるHERMESから
デザイナー(アーティスティック・ディレクター)就任のオファーが届き、
1998年から2003年まで5年間に渡り、
自身のブランドの活動と並行してHERMESの
ウィメンズ・プレタポルテ部門のデザイナーとしても活躍。
(エルメスにおいては、自身のブランドでの作風とは対照的な
シンプルでミニマルな作品を発表していた)
 
世界一のブランドのデザイナーとしても活躍した事で、
彼自身の評価・ポジション・知名度もさらに向上。
 
 
 
 

エルメス離脱から引退まで

 
2004年には師匠であるゴルチエ氏にデザイナー職を託してHERMESから離脱。
 
 
エルメスのデザイナーを退任してから自身のブランドに戻り、
創業デザイナーとして数年間に渡って再びブランドを指揮。
しかし、正確な時期は不明ながら
2000年代後半にクリエーションをデザインチームに託し、
自らが立ち上げたブランドから去った事を
マルジェラの親会社であるOTBの代表が明かしている。
 
 

2010年代以降

 
 
2000年代後半のマルジェラ離脱と共に、
第一線のデザイナーとしてのキャリアにピリオドを打ってからの動向も
殆ど明らかになっていないが、
2019年にはかつてグランプリを受賞したANDAM賞の審査員を務めている。
 
なお、同じく2019年には
「We Margiela マルジェラと私たち」
という映画が公開。
 
 
 
 

 
 
 

 

 
 

 


 
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