田山淳朗(Atsuro Tayama)
参考文献
ATSURO TAYAMA公式サイト
など
生い立ちからヨウジヤマモト時代
1955年1月30日生まれ
熊本県出身。
文化服装学院にて同期の津森千里やドン小西などと共に服作りを基礎を学ぶ。
1975年に東京の文化服装学院を卒業すると、
文化服装学院の大先輩である山本耀司率いるワイズに入社。
(同年には第14回・ピエール・カルダン賞を受賞している)
入社後、まだ国内ブランドであったヨージヤマモトの
ヨーロッパ拠点設立のために渡仏し、長くフランスに滞在。
1982年に帰国すると(株)ヨージヤマモトを退社して
株式会社エーティーという自身の会社を設立し、
まず「A.T」というブランドを立ち上げた。
そして、「A.T」ブランドを通じて
1980年代半ばから東京コレクションにて大活躍する中、
1986年には毎日ファッション大賞の新人賞を受賞し、一気に注目度が上昇。
(なお、この年の大賞/グランプリは、師匠である山本耀司氏が受賞している)
1989年にパリで「ATSURO TAYAMA」を立ち上げる
日本がバブル全盛期であった1989年には再びパリに渡り、
現地にて「ATSURO TAYAMA」という自身にとって2つ目のブランドを創設。
また現地にアトリエも構えて、パリを拠点として活動し出す。
そして、1991年には山本耀司・川久保玲・三宅一生などが活躍する
パリコレクションにデビュー。
一方、1990年にはパリの高級ブランドである
キャシャレル(レディース部門)のデザイナーにも就任し、
1994年まで4年に渡って同ブランドのデザイナーとしても活躍した。
その他、国内では大手アパレルメーカー・ワールドと契約し、
- OZOC(レディース)
- INDIVI(レディース)
- BOYCOTT(メンズ)
などのドメスティックブランドのクリエーションを
1992年から手掛け始め、これらのブランドを成功へと導く。
1990年代半ばにはパリコレの中でも存在感を増していき、
1996年には第40回・FEC賞にてその年に際立った活躍をみせた
デザイナーにおくられる「デザイナー賞」を受賞するまでになった。
2000年代以降
2000年代以降も毎シーズンパリコレに参加し、
世界的日本人デザイナーの1人として認知されるように。
一方、国内ではワールド社のクリエイティブディレクターとして
2005年の退任まで同社に大きく貢献した。
ワールド社の仕事から離れてからも多数の
アパレル企業との協業を行っており、
ワールドだけでなく他にもいくつかの企業に大きく貢献してきた。
国内での活動が多忙になる中、
2010年代以降のパリコレ参加は不定期に。
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