ルイ・フェロー(Louis Feraud)
1960年代を代表するパリのデザイナー
1920年生まれ
フランス南部のアルルという街の出身。
活動家としての時期を経て、1950年代前半に
ファッションデザイナーとしてのキャリアを本格的にスタートさせる。
その後、1950年代後半に早くもパリに進出し、
1958年には実力者でないと簡単には仲間に入れてもらえない
由緒あるパリのオートクチュール組合に加入。
そして、1950年代終盤からパリコレのオートクチュール部門においてトップデザイナーとして活躍し出す。
1960年代前半にはアメリカのショーを開催したところ、こちらも大成功。
その当時はトップスターであるブリジット・バルドー(べべ)や
グレース・ケリー(王妃)など数々のセレブ達に愛された。
1960年代半ばに船でフランスに渡った高田賢三が尊敬する人物の一人で、
賢三がパリ滞在中にフェロー氏の店に自身のスケッチ画をもっていき、
その出来事がのちのちの高田賢三の成功につながったという有名なエピソードがあり、日本とのゆかりも深い。
1970年代以降もパリコレにおいて、
オートクチュール・プレタポルテ両部門において
トップデザイナーとして長く活躍し続け、
1995年にデザイナーを引退し、娘にブランドの経営を託す。
その後、2000年頃に死去。
(おそらくブランドが既に消滅しているため、正確は死亡年度は不明)
創業者死後のブランドのその後
創業者の死と共にブランドが閉鎖されることなく、
若手デザイナーの力により、「Feraud」というメゾン名でパリコレ参加を続けた。
しかし、海外のコレクション情報サイトで
レポートが見つかるのは、2002SSシーズンのオートクチュールが最後。
(2002年時点でのディレクターはYvan Mispelaereという若い男性)