北村信彦(Nobuhiko Kitamura)
北村信彦氏のプロフィール
生い立ちから1980年代まで
1962年生まれ。
少年時代から東京都心において
ロック音楽やアートに大きな影響を受けながら過ごす。
またレコード店に足しげく通ううちに、
レコードジャケットを通じてアートやイラストにも強い興味をもつようになったほか、ミュージシャン達のファッションにも興味をもちはじめた。
(アンディ・ウォーホールは、北村氏が影響を受けたアーティストの1人)
そういった背景の中でファッションデザイナーを志しはじめ、
東京都心にある東京モード学園に入学し、
1984年にファッションデザイン科を卒業。
卒業後は株式会社オゾンコミュニティに入社し、
その年の6月に、21歳という若さで社内ブランドとして
「ヒステリック・グラマー」という
ロックミュージックとファッションの融合などをテーマとする
ブランドを創設。
すると、間もなくブランドの人気に火が付き、
瞬く間に東京のクラブ(ディスコ)シーンで話題の人物に。
その才能は国内だけでなく海外でもたちまち話題となり、
1986年には、自身がデザインした服が、
NYにて、あのアンディ・ウォーホール氏に高く評価されるほどに。
(それを聞きつけ、ウォーホール氏に会う事を目指したが、
その後すぐにウォーホール氏は亡くなってしまったため一度も本人と対面する事はできなかった)
1990年代以降
1990年代以降、
様々な派生ラインが出来たほか、
国内外の人気芸能人の愛用ブランドとして話題になり、
ブランドの知名度を飛躍的に向上したほかブランドの規模も拡大。
特に国民的スターであるナインティナイン・矢部浩之の愛用ブランドとして
認知された事で、国民のほぼ誰もが知るようなブランドになったと言われる。
2000年代以降も、
裏原宿系ブランドの衰退など様々な動きがある中で、
他にはない独特なポジションにて高い人気を維持し、
2010年代に入ると日本を代表する大御所デザイナーとして扱われるまでになった。
高橋盾(UNDERCOVER)・宮下貴裕(元ナンバーナイン)といった
裏原宿系ブランド系デザイナーとの交流が深く、
アンダーカバー高橋盾とは2010年代に入っても
共にDJとして東京でプレイを披露するなど、交流が続いている事がメディアで報じられている。
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<主な内容>
■詳しい経歴
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