アニエス・トゥルブレ(Agnes Trouble)
日本でも幅広い人々の間で人気があるフレンチカジュアルブランド
「アニエス・ベー(agnes b)」の創業デザイナーであるアニエス・トゥルブレ(Agnes Trouble)氏の詳しい経歴・プロフィール情報。
参考文献
パリファッションウイーク(パリコレクション)公式サイト
https://parisfashionweek.fhcm.paris/en/brand/?brand=606&brand_name=agnsb
通称 | アニエス・ベー |
---|---|
性別 | 女性 |
国籍/出身 | フランス/ベルサイユ |
生年月日/生まれ年 | 1941年生まれ |
出身校 | Ecole des Beaux-Arts |
ブランド創設 | 1973年 |
参加コレクション | パリコレクション(プレタポルテ部門) |
アニエス氏の顔写真
とびきりチャーミングなアニエスの監督デビュー作、ぜひいち早く明日のフィルメックスでご覧下さい。朝10時から、上映後にはアニエスによるQ&Aあり!写真は本日来日記念のレセプションでのアニエスベーの御姿。 pic.twitter.com/rKwlB0vBZJ
— 🇫🇷フランス映画祭🇫🇷 UniFrance Tokyo (@UnifranceTokyo) November 29, 2013
生い立ちから初期キャリア
世界が戦争状態にあった1941年、
パリ20区の近郊に位置するベルサイユにて誕生。
親は弁護士をしていた。
17歳であった1958年にクリスチャン・ブルゴワという
10代前半の頃に出会った男性と一度目の結婚をする。
結婚から2年後となる19歳の頃にはブルゴワ氏との間に
双子の赤ちゃんが誕生したが、生誕から間もなくブルゴワ氏とは離婚。
地元にあるEcole des Beaux-Artsという美術系学校を卒業したのち
2人の子供を抱えた中で離婚した事により金銭的にはピンチの状態にあったが、
ELLEの編集者としてモード界でのキャリアをスタートさせ、金銭的な危機を乗り越える。
様々な経験を積んで約2年でELLE編集部から離脱したのち、
今度は立ち上げから間もないジャクリーヌ・ジャコブソンによる
「ドロテ・ビス(DOROTHEE BIS)」というブランドのスタッフに。
1973年にアニエスベーを設立
パリモード界にて様々な経験を積んだのち、
1973年に「アニエス・ベー(agnes b)」というプレタポルテ系ブランドをスタート。
(なお、本名ではないagnes bというブランド名の「B」は初婚相手であるBourgois氏の苗字に由来する)
その頃、KENZO・DOROTHEE BIS・ISSEY MIYAKEなど
時代の流れに乗ってプレタポルテ専業系ブランドが
どんどん勢力を拡大する中、フレンチカジュアル系ブランドの
アニエスベーも瞬く間に大人気ブランドに。
プライベートではJean Rene Claret de Fleurieuという人と再婚。
パリコレ参加を通じてどんどん人気が高まる中、
1980年代に入ると日本にも上陸し、日本でも極めて高い人気を誇るブランドとなった。
2010年代には映画監督デビュー
アニエスにとってファッションと並んで映画はとても自身にとって大きなもので、
アニエスベーブランドをスタートする前にあたる
1960年代から映画衣装の制作には深くかかわってきた。
そんなアニエスは2010年代半ばにアニエスベーという通称ではなく
アニエス・トゥルブレという本名で
「わたしの名前は(邦題)」
という映画作品の監督・・脚本・撮影・美術すべてを担当し、
映画監督デビューも果たした。
多方面での活躍が目立つが、
80歳を迎える2021年になってもデザイナーとして現役バリバリで活動し、
パリコレのプレタポルテ部門に公式日程内で参加し続けている。
関連人物
- ジャクリーヌ・ジャコブソン
- 高田賢三
- ジャン・トゥイトゥ・・・・・APC創業者で元agnes bタッフ
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