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森英恵(Hanae Mori)

 
 
 

生い立ちから主婦時代

 
 
1926年に島根県内の自然豊かな地域で誕生。
父親は医者をしていた。
 
上京して東京にて戦時下での過酷な生活をおくる。
終戦して1947年に東京女子大学国を卒業。
 
学生結婚をした森氏はその後しばらく、主婦として過ごしていた。
 
 
 

1950年代から1960年代前半(国内で活躍)

 
主婦生活に物足りなさを感じるようになってきた森は
洋裁専門学校に通うようになって高い技術を習得。
 
そして1951年(昭和26年)、新宿に「ひよしや」という衣料店をオープンさせ、
実業家&ファッションデザイナーとして本格的に活動しはじめた。
 
その後、その高い能力が映画関係者の目に留まり、
1960年代前後に日本映画界には欠かす事ができない衣装デザイナーとして活躍。
 
しかし、海外の大物デザイナーと比べて
なかなか高い評価をしてもらえない状況や多忙な生活に疲れ、
1960年代初頭には疲労により、休暇生活に入った。
 
 
 

1960年代半ばから1970年代半ば(NY時代)

 
 
休暇に入ってそのままデザイナー/実業家から引退する可能性もあったが、
そんな頃にリフレッシュも兼ねてフランス・バリ旅行をし、
たまには自分が顧客側になって服を作ってもらおうと思い立ち、
シャネルにてオートクチュール(高級仕立服)のレディーススーツをオーダー。
 
試着で店を訪れる経験を重ねる中で
仕事への情熱が蘇り、帰国すると再び精力的に活動するようになった。
 
そして1965年にはアメリカのニューヨークにて
初めてプロのモデルを起用した大規模なファッションショーを開催。
国際デビューを果たすとそのショーが高く評価され、
以降、約10年に渡ってニューヨークにてトップデザイナーとして活躍。
 
 
 

1970年代後半からはパリコレで活躍

 
 
ニューヨークで大活躍した森英恵氏は北米大陸を経て
欧州へと活動の拠点を移し、1977年にはフランスのオートクチュール協会の東洋人はじめての会員となる。
 
そして、パリコレにおいてオートクチュール部門、
さらには新たに立ち上げたプレタポルテ(既製服)部門の両方において

先にパリデビューとしていた高田賢三氏・三宅一生氏・山本寛斎氏、
あるいはピエール・カルダン、サンローラン、カール・ラガーフェルド、
といった欧州系の人物と共に世界のトップデザイナーの1人として大活躍。
 
 
 
 

2004年の引退後

 
 
パリコレだけでなく舞台衣装のデザイナーなど
幅広い分野で70代半ばまで精力的に活動してきたが、
パリコレにてまず先にプレタポルテ部門から撤退したのち、
2004年にはオートクチュール部門からも撤退する事を決め、
70代後半でファッションデザイナーとして第一線から退いた。
 
その後は「箱根・彫刻の森美術館」の館長などとして活躍してきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
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