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森英恵(Hanae Mori)

 
高田賢三や三宅一生より先に世界に進出した国際的日本人デザイナーの先駆け
 
参考文献
ハナエモリ公式サイト
https://www.hanae-mori.com/history
著者公式プロフィール情報
 

生年月日

1926年生まれ

出身地

島根県出身

出身大学/学歴

東京女子大学

出身専門学校

ドレスメーカー学院

コレクション参加歴

東京コレクション

パリコレクション(オートクチュール/プレタポルテ)

 
 


 
 

生い立ちから主婦時代

 
 
1926年に島根県内の自然豊かな地域で誕生。
父親は医者をしていた。
 
上京して東京にて戦時下での過酷な生活をおくる。
終戦して1947年に東京女子大学を卒業。
 
10代後半の頃に出会った夫(森賢)と1948年に若くして結婚した森氏は
その後しばらく、主婦として過ごしていた。
 
 
 

1950年代から1960年代前半(国内で活躍)

 
結婚してから数年間は主婦生活をしていたものの
主婦生活に物足りなさを感じるようになってきた森氏は
洋裁専門学校に通うようになって高い技術を習得。
 
そして1951年(昭和26年)、新宿に「ひよしや」という衣料店をオープンさせ、
実業家&ファッションデザイナーとして本格的に活動しはじめた。
 
その後、その高い能力が東京の映画関係者の目に留まり、
1960年代前後に日本映画界には欠かす事ができない衣装デザイナーとして活躍。
 
しかし、海外の大物デザイナーと比べて
なかなか高い評価をしてもらえない状況や多忙な生活に疲れ、
1960年代初頭には疲労により、休暇生活に入った。
 
 
 

1960年代半ばから1970年代半ば(NY時代)

 
 
休暇に入ってそのままデザイナー/実業家から引退する可能性もあったが、
そんな頃にリフレッシュも兼ねて
親友であるパリコレモデルの松本弘子と共にフランス・バリ旅行をし、
たまには自分が顧客側になって服を作ってもらおうと思い立ち、
まだ創業者のガブリエル・シャネルが健在であった頃のシャネルにて
オートクチュール(高級仕立服)のレディーススーツをオーダー。
 
試着で店を訪れる経験を重ねる中で仕事への情熱が蘇り、
帰国すると再び精力的に活動するようになった。
 
1963年にはヴィヴィドという組織を設立して既製服(プレタポルテ)の世界に進出。
 
 
そして1965年にはアメリカのニューヨークにて
初めてプロのモデルを起用した大規模なファッションショーを開催。
国際デビューを果たすとそのショーが高く評価され、
以降、約10年に渡ってニューヨークにてトップデザイナーとして活躍。
 
 
 

1970年代後半からはパリコレで活躍

 
 
ニューヨークで大活躍した森英恵氏は北米大陸を経て
モナコ王国のグレース・ケリー王妃との付き合いをきっかけとして
欧州へと活動の拠点を移す。
 
親友・松本弘子の仕事上のパートナーであるピエール・カルダンの推薦も受けて
1977年にはフランスのオートクチュール協会の東洋人はじめての会員となる。
 
そして、パリコレにおいてまずオートクチュール部門で活動し始め、
さらにはプレタポルテ(既製服)部門の両方においてパリコレにて活躍。
 
日本を代表する国際的デザイナーへと成長した中、
1992年にはバルセロナ五輪にて日本選手団の公式ユニフォームデザインを委託される。
さらには皇室系デザイナーとしても活動する中、
1996年には文化勲章を受章。
 
 
 

2004年の引退後

 
 
パリコレだけでなく舞台衣装のデザイナーなど
幅広い分野で70代半ばまで精力的に活動してきたが、
パリコレにてまず先にプレタポルテ部門から撤退したのち、
2004年にはオートクチュール部門からも撤退する事を決め、
70代後半でファッションデザイナーとして第一線から退いた。
 
その後は「箱根・彫刻の森美術館」の館長などとして活動
 
 
デザイナーとしては2019年にAI技術で人工的に復活させた
故美空ひばりの新曲衣装デザインを担当して話題になる。
 
 
 
 
 

 

 
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