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マリー・クワント(MARY QUANT)

 
参考文献
ブランド公式サイトなど各公式情報
 
 
 

生い立ちと初期キャリア

 
 
日本語での正式表記は「ワ」が小さな文字。
マリー・クヮント
 
生年月日 =1934年生まれ(公称)
出身=イギリス・ロンドン
性別=女性
身長=155cm
 
 
1930年代前半にロンドンで誕生し、
16歳の頃にゴールドスミス・カレッジという現地の学校の絵画科に入学。
この学科にてのちに伴侶となるアレキサンダー・ブランケット・グリーンと出会う。
そして、そのアレキサンダーと深い関係になる中で、
美術の教員免許を取得するという親との約束を守らず、親との溝が生まれる。
家を出た彼女はある帽子店が働きだしたものの、
パートナーであるアレキサンダーと共に苦しい時期を過ごしていた。
 
そんな中、行きつけの珈琲店のマスターであるアーチ―から
アレキサンダーとマリーに対して共同で事業をしないか、
という話がもちかけられ、様々なアイデアの中で服飾分野を選択し、
まだ20歳だった1955年にチェルシーでアレキサンダー&アーチ―と共に
「BAZZAR(バザー)」
というブティックを開業。
ブティックをオープンすると
安くてクオリティの高いマリー達が作ったオリジナル衣料は飛ぶように売れる。
そして、当時は画期的だったミニスカートを大流行させる。
 
その2年後となる1957年には
「BAZZAR」
2号店を別の場所に出店したほか、
長年付き合ってきたアレキサンダー・ブランケット・グリーンと結婚。
 
 
 

最盛期だった1960年代の活躍ぶり

 
1960年代前半には海を越えて大国・アメリカに進出し、
現地で衣料や下着をライセンス展開するようになった。
さらにその後、パリで開催したショーなども大成功させる。
 
そこからも欧米圏における快進撃はさらに続き、
1966年にはミニスカートを流行させた事や
様々な革新的商品を考案し、"スウィンキング・ロンドン"
と呼ばれる当時の若者文化のけん引役となった事が高く評価され、
若くして英国・エリザベス女王よりOBE(英国王室第4等勲章)を受勲。
 
そのほかにも1960年代後半には欧米圏で様々な賞を受賞した。
 
 
なお、自身の衣料の作風に合うコスメを作りたいと思い始め、
1966年にコスメ事業もスタートさせたが、
こちらも衣料分野と同じく大ブレイク。
 
しかし、様々な物を短期間の間に手に入れたマリーは
そのうちうつ状態に入ってしまい、
1969年に入ると静かに暮らしたいという思いから
ブティックを閉めてファッションデザイナーとしての活動に一区切りをつける事を決意した。
(それ以降は他社生産のライセンスビジネスに特化する形となる)
 
 
 
 

1970年代以降の活動

 
ファッションデザイナーとしては第一線から退いたのち
1970年に入るとオーランドという名の息子が誕生し、
それを機にメンタルが安定しはじめると、
家の装飾に関連するテキスタイルやインテリアのデザインに進出。
 
一方、コスメ事業に関しては
1970年11月に株式会社マリークワント・コスメチックス・ジャパンを設立し、
1971年には日本において化粧品の展開がスタート。
日本でのビジネスをスタートさせてからは度々来日してきた。
 
日本でのコスメ事業は大成功し、
今ではマリークワントの事を化粧品ブランドだと思っている人も多いほど。
 
なお、何度か来日する中で
再びファッションデザイナーとしての活動に意欲をもちはじめ、
日本でのアパレル商品展開もスタートし、コスメ・衣料共に人気に。
 
1991年には日本人ビジネスマンの中山寿一氏が
イギリス本国の会社の経営者に就任し、
マリーと日本の関係はさらに深くなった。
 
 
2015年には英国ファッションに約50年間貢献し続けてきた事により
DBE(英国王室第2等勲章)を受勲。
 
 
パリコレやロンドンコレクションにて長く活躍してきたような
モード系のデザイナーではないものの、
ヴィヴィアン・ウエストウッド、ザンドラ・ローズなどと並ぶ英国のレジェンド的存在。
 
 
 
 

 
 

 


 
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