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佐々木勉(ささきつとむ/Tsutomu Sasaki)

 
参考文献
装苑賞公式サイト
 
 

佐々木勉さんの生い立ちから文化服装学院時代

 
 
■生年月日は?
不明(1950年代後半あたりの生まれ)
 
 
高校生の頃、当時30代の若い新人デザイナーながら
 
花の都・パリにおいて世界的デザイナーへと駆け上がっていく日本人、
高田賢三の存在を知るようになり、メディアを通じて彼に対する憧れを強める。
 
そして高校卒業後、1970年代後半に高田賢三氏の母校である
東京の文化服装学院に入学し、服作りの勉強を開始。
 
賢三氏やコシノジュンコ氏などを輩出してきた事で知られる
デザイン科で学んでいた1978年。
 
この年にはかつて高田賢三氏も受賞した事がある
文化服装学院主催の新人デザイナー向け賞「装苑賞」において
第43回目の受賞者に選出され、校内や業界内で一躍脚光を浴びる。
(当時の受賞者としての名前は「ささきつとむ」名義/装苑賞公式サイト参考)
 
また、同時期には文化服装学院が主催する
別の新人向け賞の審査員として帰国していた賢三氏と対面する機会に恵まれ、
栄誉ある装苑賞を受賞した事に対するねぎらいの言葉をもらう。
 
 
その後、賢三氏から自身のメゾン(KENZO)入りのオファーまでもらったが、
既にその時点で山本耀司氏の「ヨウジヤマモト」入りが決まっていたため、
卒業後はヨウジヤマモトのスタッフとして活動し出した。
 
 

ヨウジヤマモトからKENZOに移籍して高田氏のもとで活躍

 
 
オファーが来たタイミングの関係でKENZO入りはならなかった佐々木氏だが、
ヨウジヤマモトのスタッフとして働きだしてしばらくすると、
用事があった帰国していた賢三氏から再びオファーを受け、
それがきっかけとなり、ヨウジヤマモト社を退職してケンゾー社に移籍。
 
KENZO入りすると、あの高田賢三氏が何度獲得を熱望するほど
高い能力をもつ佐々木氏はメゾン内で即戦力として活躍し出し、
1970年代から1980年代にかけて、
KENZOを世界最高峰のプレタポルテブランドの一つへと押し上げた。
 
 
なお、いくつかの要因により1990年前後の時期になると、
KENZOブランドは迷走をはじめるようになり、
1993年にはベルナール・アルノー率いるLVMHグループに買収されてしまった。
 
しかし、LVMH傘下に入ってからも
雇われデザイナーとしてメゾンに残った高田氏同様、
高田氏にとってなくてはならない存在である佐々木氏も同様にKENZOに残留。
そして、LVMH入りしてからも高田氏を陰で支え続けた。
またLVMHのスタッふの一員にもなったという環境の中で
アルノー氏などからハイファッションビジネスの奥深さも学んだ。
 
 
高田賢三氏同様に1999年秋開催の2000SSパリコレショーを最後に
20年以上勤務してきたKENZOを離脱すると、
自身の会社を立ち上げ、LVMH時代に築きあげてきた
ハイファッションブランドビジネスのノウハウを武器にブランドプロデューサーとして活動。
また、自身の愛称を由来とする「TSU TSU」というブランドを立ち上げ、
2000年代からはそのブランドのデザイナーとして活動。
 
 
「TSU TSU(2015年頃にクローズ)」という自身のブランドでは
華々しい活動をする事はなかったため、
一般的な認知度は低めと言われるが、
デザイナーとしては日本の歴史の中で、
三宅一生氏・高田賢三氏め川久保玲氏などとと同様に最も高く評価されている人物の1人。
 
 
 


 
 
 
 
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