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中野裕通(Hiromichi Nakano)

 
参考文献
東京コレクション公式サイト
https://rakutenfashionweektokyo.com/jp/brands/detail/hiromichi-nakano/
hiromichi nakano公式メディア
毎日ファッション大賞公式サイト
 


 

ふりがな

なかの・ひろみち

生年月日

1951年1月10日生まれ

出身地

宮城県

コレクション参加歴

東京コレクション

パリコレクション(レディース)

 
 
顔写真

 
 
 

メーカーのスタッフ時代

 
昭和26年(1951年)に先代近郊に位置する宮城県岩沼市にて誕生。
実家は神社であった。
 
1970年に仙台の高校を卒業するが、
大学受験に失敗した中で東京都心の予備校に通う事を決め、上京。
 
原宿の予備校に通う中で「この地でずっと生活したい」と思うようになり、
1972年に松田光弘氏が経営する株式会社ニコルに入社して
業界内でのキャリアをスタートさせる。
 
1976年からは菊池武夫氏や稲葉賀恵氏などが立ち上げたビギ社にて勤務。
 
さらに1981年から婦人服大手メーカー、
サンエーインターナショナルに入社し、「VIVAYOU」という当時の人気ブランドを手がけるようになったが、
このブランドのデザイナーとして確固たる結果を残す。
 
 
 

1984年に「ヒロミチナカノ」を立ち上げる

 
1984年にはサンエーインターナショナルの社内ブランドとして
自身の名を冠した「ヒロミチナカノ」という
レディース系ブランドを立ち上げ、
1980年代後半から東京コレクションのトップデザイナーとして大活躍。
(サンエー社の退職時期は不明)
 
また、小泉今日子の衣装デザイナーなどとしても活躍。
 
そんな中、1989年には第7回「毎日ファッション大賞」において
栄誉ある新人賞を受賞するまでになった。
(ちなみに、その年のグランプリは三宅一生氏が受賞している)
 
 
1991年にはサンエー社から独立して自身の会社を設立し、
「ヒロミチナカノ」ブランドを展開するようになったが、
巨大資本を失ってからもブランドは発展を続け、
東京コレクションを引っ張る大御所デザイナーへと成長していった。
その頃のショーは大々的に開催され、多数のトップモデルがショーに出演。
 
 

1998年にパリコレデビュー

 
東京でトップへと昇りつめたのち
1998年秋の1999SSシーズンには世界最高峰のコレクションイベントである
パリコレクションにデビュー。
 
そして、1999年には毎日ファッション大賞と並んで
権威ある賞と知られる「FEC賞」の第42回にて特別賞を受賞。
 
なお、パリコレ進出後も東京コレクションへの参加は継続。
 
公式日程内では参加せず単独開催でショーを開催したシーズンもあるが、
そのショーにはプロのショーモデルだけでなく多彩の人物がモデルとして登場してきた。
 
2000年代に入っても長くパリコレに参加し続けてきたが
パリでわざわざ莫大なコストをかけてショーを開催する意味があるのか、
という疑問が湧いてきた事などから2007年頃にパリコレからは撤退。
 
 
 

パリコレ撤退以降の活動

 
 
2000年代に入ってセカンドラインである
hiromichi by hiromichi nakanoが丸井系ブランドの中心的存在となり、
2010年前後に若い男性層の間で極めて人気を獲得した。
 
2006年春の2006AWシーズンを最後に
東京コレクションには参加していなかったが、
60代半ばを迎える2015年秋には
約10年ぶりに東京コレクションに公式参加し、
2016年春開催の2016AWシーズンにも2シーズン続けて参加し、健在ぶりを示した。
 
 

東京コレクション映像

 
 
2016AW公式映像

 
 
 


 
 
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