ステラ・マッカートニー(Stella McCartney)
参考文献
パリ・ファッションウイーク(パリコレ)公式サイト
性別 | 女性 |
---|---|
生年月日 | 1971年9月13日生まれ |
国籍 | 英国 |
出身 | イングランド/ロンドン |
出身校 | セントラル・セントマーチンズ美術大学 |
父親 | ポール・マッカートニー |
母親 | リンダ・マッカートニー |
ステラの顔写真
「ステラ マッカートニー」青山店の移転オープンを記念し、ステラ・マッカートニーが来日!http://t.co/AhcuQUJpe9 pic.twitter.com/jZwqy3to0h
— マリ・クレール【公式】marie claire japon (@mcstyle_JP) May 22, 2015
生い立ちからセントマーチンズ時代
ビートルズを解散してソロ活動を開始したばかりのポール・マッカートニー、
そして、その妻であるリンダ(Linda McCartney)との間に、
大都会であるロンドンで生まれる。
顔は父・ポールによく似ている事で有名。
一方で幼少期は英国の自然豊かな地域で過ごし、
動物を身近に感じながら過ごす中で自然や動物をこよなく愛するようになる。
そんな中、10代前半の頃から早くも
- 動物に優しい(動物から搾取した革や羽根・毛皮を使わない)
- 地球環境に優しい
ファッションデザイナーを目指すようになり、
10代半ばの頃から準備を開始。
そして、高校を卒業すると数々の世界的なデザイナーを輩出してきた
ロンドンの服飾専門大学「セントマーチンズ美術大学」に入学。
在学中は、のちにパートナーとなるフィービー・ファイロなどと共に
セントマーチンズにて高い技術を学んだ。
そんな中、
- ケイト・モス
- ナオミ・キャンベル
といった当時の世界的英国ファッションモデルをランウェイモデルとして招き、
有名な両親も会場に招待した上で開催された卒業コレクションが
国内外で高い評価を受ける。
初期キャリア(若干25歳でChloeのデザイナーに)
セントマーチンズを卒業した彼女は
カール・ラガーフェルドがクロエから離脱して
パリにおいてはシャネルのクリエーションに専念する事になった中、
パリコレの老舗ブランド「Chloe」のカール後継デザイナーに選ばれ、
1997年に若干25歳という若さで名門・クロエのデザイナーに就任。
まだほとんどキャリアがない中で一部では不安が上がったほか
「親の七光り」
「ポールの娘だからといって特別扱いされすぎている」
などの批判も浴びたが、見事にクロエのデザイナーとして活躍。
2001年に苦労から離脱すると共に、かつての学友である
フィービー・ファイロにクロエを託した。
2000年代前半からパリコレデザイナーとして活躍
その2001年にはKERINGの前身であるグッチグループのバックアップを受け、
自身の名を冠した「Stella McCartney」というレディースブランドを創設。
そして、パリコレクションのプレタポルテ部門に参加する中、
世界的な女性デザイナーの1人へと成長。
またadidasとのコラボレーションなどを経て
2010年代以降は大きくファン層を広げた。
2012年にはロンドン五輪における英国選手団の公式ユニフォームデザインを担当。
なお、もともとはKERING傘下のブランドであったが
方向性の違いなどから2018年春にKERINGとの関係に終止符を打ち、
翌2019年にはKERINGのライバル企業体で、
環境に優しいサステナブル系ブランドの強化を目標に掲げるLVMHとの契約がスタート。
環境保護意識/動物愛護意識の高さでますます脚光を浴びる
ステラが自身のブランドをはじめた2000年代前半当時、
世界のハイファッション界において
- 環境意識
- 動物愛護意識
といったものはないがしろにされてきたようなところがあった。
しかし、地球温暖化が顕在化してきたほか、
植物ではなく動物を原料とする毛皮などの使用に対する
問題意識が高まっていく中、
どの世界的ブランドよりも早くこれらの問題に徹底的にこだわった
ものづくりを行ってきたステラに対する注目度・敬意は年々高まり、
2020年代に入ると世界で最も注目されるファッションデザイナーの1人となった。
関連人物
- フィービー・ファイロ
- キャサリン・ハムネット・・・・・ステラ同様に高い環境保護意識を持つ先輩の英国人女性デザイナー
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