NIGO(A BATHING APE創業者)
NOWHERE立ち上げまで
生年月日=非公開
群馬県の県庁所在地である前橋市で誕生。
10代の頃からファッションや音楽に傾倒していくようになり、
高校卒業後は上京して東京都心に校舎がある名門服飾学校・
文化服装学院に入学。
在学中は同じく群馬県出身の高橋盾(UNDERCOVER創業者)などと学びながら、
スタイリストやDJとしても活動するようになった。
ちなみに、NIGOというデザイナー名は、
彼と同じ分野で早くから活躍してきた藤原ヒロシさんと
いう人物によく似ている(=藤原ヒロシ2号)という事が関連。
その後、学友の高橋盾と共に1993年、
竹下通りなどと比べて閑散としていた裏原宿エリアに
「NOWHERE」という衣料品店をオープン。
自身のブランド「A BATHING APE(略称=BAPE)」も立ち上げて
この時期からは実業家・デザイナーとして本格的に活動しはじめた。
1990年代半ばからブランド離脱まで
NOWHEREのオープン後、
相棒の高橋盾は彼のブランドであるUNDERCOVERを通じて
1994年から伝統ある東京コレクションに参加し始め、
ストリートとモードが融合したブランドへと変化していった。
一方でNIGOのBAPEはファッションショーに参加する事はなく、
1990年代半ばにストリートファッションブームが巻き起こった中で、
完全なる王道的ストリート系ブランドとしてブランドを発展させていった。
ストリートファッションブームの中で、
彼の圧倒的なデザイナー・経営者としての能力により、
あっという間にBAPEは日本を代表するストリート系ブランドへと成長。
2000年代に入っても相変わらずストリートファッション熱は冷めやらぬ中、
国内ではさらにブランドの規模が拡大したほか、
ストリート系ファッションの本場である欧米圏からも注目され始め、
様々な世界的ブランドやミュージシャンとコラボをするようになる。
なお、2000年代に入ると音楽活動にも力を入れ始め、
2002年からはm-floのVerbalやリップスライムの2人などと共に
TERIYAKI BOYZというユニットのメンバーとしても活動し出す。
そういった国際的な活動する中でマスコミから注目度は日々高まり、
2000年代後半には女優・牧瀬里穂と結婚した事もあり、
この頃に世間的な知名度が上がる。
ただ、2000年代後半に入ると
ストリートファッションブームは急激なペースで終焉し、
BAPEブランドも、そのあおりを受けるようになった。
そんな中、2009年春にはBAPEを運営するノーウェア社の社長を辞任。
経営は当時の幹部に任せる事となった。
2010年代の活動
ノーウェア離脱後もBAPEのクリエーションには引き続き関わっていたが、
2013年にはその座からも降りて完全にブランドから離脱。
その後、同年中にユニクロのTシャツレーベルである
「UT」のクリエイティブ・ディレクターに就任し、
2014年春夏シーズンから同レーベルでの活動を開始。
その他、音楽プロデューサーとしても精力的に活動するなど、
活躍の場を広げている伝説の人物。