ギャビー・アギョン(Gaby Aghion)

 
 
参考文献
クロエ公式サイトのHistoryや、国内外の各種公式情報
 


 

生年月日は?

1921年3月3日生まれ

性別は?

女性

出身地は?

エジプト/アレキサンドリア

どれだけ偉大な人物か?

パリにおける女性スティリスト(プレタポルテ系デザイナー)のパイオニア的な存在。

 
 
■主な子孫

  • Philippe Aghion(息子)
  • Mikhaela Aghion(まご娘)

 
 
■顔写真(VOGUE PARIS公式インスタより/かなり若い頃)

 
 
■顔写真(1984年/60代前半当時の写真)

 
 


 
 
パリを代表する高級既製服ブランド、Chloeの創業者である女性。
 
日本がまだ大正時代であった1921年に、
エジプト北端の地中海沿いの街・アレキサンドリアにて誕生。
出生時点での名前は"Gabrielle Hanoka"。
親はたばこ工場に関する仕事をしていた。
 
19歳の頃、幼馴染のレイモン・アギョン(Raymond Aghion)という、
実家が綿花に関する事業を営んでいた同じ年の男性と結婚し、
第二次世界大戦終戦直後の時期にフランスのパリへ移住。
 
その後、1952年にChloeというブランドを立ち上げ、
当時のパリにて高い人気があったオートクチュール(高級注文服)ではなく、
幅広い女性層に向けたプレタポルテ(高級既製服)の事業をスタート。
 
1957年には初のファッションショーを開催した。
 
創業当時は自らクリエイションを手掛けていたものの、
1958年にはジェラール・パピールという若手デザイナーを雇い、
それ以降は監修的な立場にまわる事となった。
 
他人の才能の程を見極める事に長けていたと言われ、
1960年代半ばにはドイツの出身地のカール・ラガーフェルドの
圧倒的な素質を見抜き、彼をデザイナーに抜擢
 
そして、のちにシャネルの再生にも成功する事となる
カールの圧倒的な能力により、クロエというブランドは高級既製服ブランドは
1970年代以降、一気に世界的なブランドへと成長。
 
なお、カール・ラガーフェルドは1980年代に一度クロエから離脱したが、
1990年代に復帰し、数年間に渡って再びクロエに大きく貢献。
カールが離脱するとポール・マッカートニーの娘で
将来性を有望視されていた当時25歳のステラ・マッカートニーがクロエを率いた
 
その後、21世紀に入っても引退する事なく裏方としてブランドをサポート。
 
晩年の2013年にはフランス政府より最高勲章
「レジオンドヌール勲章」を受勲し、世界中で大きなニュースとなった。
 
しかし、受勲から1年足らずの2014年9月、パリの自宅で死去。
93歳で自らの生涯に幕を下ろした。
 
 
同じくパリにて女性服を専門的に展開してきたココ・シャネルとは対照的に
表舞台にはほとんど姿を現す事はなく、生前の姿を写した写真も数少ない。
 
 
 
 
 


 
 
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