イヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)

 
 

生年月日

1936年8月1日生まれ

性別

男性

出生地

アルジェリア

 
 


 
 

生い立ちからディオール時代

 
1936年、当時フランス領であった北アフリカの国・アルジェリアにて誕生。
(アルジェリアは、フランスからみて地中海の向かい側に位置する)
 
その後、フランスに渡った彼は1954年、
インターナショナル・ウールマークプライズの前身大会にて
前年度のバレンティノ・ガラヴァーニに続き、
ドイツ出身のカール・ラガーフェルドと共にウィナーとなり、脚光を浴びる。
 
翌1955年からは創業者が存命であったクリスチャン・ディオールに入り、
10代後半の若さでトップメゾンにて活躍し始める。
 
そんな中、1957年に創業者のディオール氏が若くして亡くなると、
類まれなる才能をもつ彼は21歳という若さで2代目デザイナーに指名される。
そこから数年間に渡り、ディオールの後継者として活動していたが、
兵役が要因となり、職務から離れる事になった。
(精神的な問題により、道半ばで兵役が離れる事になるが、そのままディオールから離脱)
 
 

1961年にパートナーと共に自身のブランドを設立

 
ディオールにおける職を失い、
軍隊からも失格の烙印を押されて失意の中にいたイヴ。
 
そんな中で、1958年に出会った6歳年上のパートナー、
ピエール・ベルジェのプロデュースの下で、
1961年に「イヴ・サンローラン」という自身のブランドを設立。
 
そして、1962年から本格的に活動しはじめると、
イヴのデザイナーとしての才能と
ピエールのビジネスセンスにより、ブランドの規模は急成長。
 
1965年には「モンドリアン・ルック」という
独特な幾何学模様の作品を発表した。
 
1969年にはレディースに続いてメンズにも進出。
 
1970年代に入ると時代はオートクチュールからプレタポルテへと映る中、
イタリア生まれのピエール・カルダン、
日本からやって来た高田賢三などと共にプレタポルテ事業も積極的に展開し、
パリそして世界を代表するデザイナーへと成長。
 
1970年代のうちにピエール・ベルジェとの恋人としての関係には
終止符が打たれたと言われるが、
それ以降もビジネスパートナーとしての関係は継続。
 
そして、ベルジェのプロデュースのもとで、イヴはますます輝きを増していった。
 
 

1998年にオートクチュール・2002年にプレタポルテの世界から引退

 
 
1990年代に入ってもライバルのカール・ラガーフェルド(CHANEL)などと共に
トップデザイナーとして活躍していたイヴながら、
1996年に還暦を迎えたのち、ギラロッシュのデザイナーとして
活躍していた当時30代半ばのアルベール・エルバスを
プレタポルテラインの後継者に指名し、
パリコレにおいてプレタポルテのデザイナーからは引退。
(ただし、当時のブランド買収合戦の中で、
サンローランはグッチ系ブランドとなり、
エルバスは解雇されてグッチ側からトム・フォードが派遣された)
 
 
プレタポルテから引退してからも数年に渡って
パリコレのオートクチュール部門にはデザイナーとして参加していたイヴ。
 
しかし2002年1月開催の2001-02秋冬シーズンのパリコレをもって
オートクチュールの世界からも引退する事を発表。
そして2002年1月に盛大なラストショーを開催して表舞台から姿を消した。
 
 
 

2008年に死去

 
引退から6年半後の2008年6月、
パリ市内の病院で死去し、71年の生涯に幕を下ろした。
 
死後、彼の偉大さは時が経つごとに大きくなっていき、
彼に関連する映画が公開されるなど、
死後も忘れさられる事なく、存在感を増し続けている。
 
なお、イヴが死んでから関連するドキュメント映画に出演するなど
ブランドのイメージアップ/マネージメントに尽力してきた
ビジネスパートナーのピエール・ベルジェは、
2017年秋に86歳で死去。
 
 
 
 


 
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