滝沢伸介(Shinsuke Takizawa)

 
参考文献
東京ファッションウイーク公式サイト
 
 


 
 
顔写真

 
 
 

生年月日

1967年生まれ

出身地

長野県

配偶者

滝沢眞規子

 
 

生い立ちから初期キャリア

 
1967年に長野県北部の千曲市にて誕生。
 
10代前半の頃から東京の原宿に憧れるようになり、
当時はまだ長野新幹線が開通していない中、
時間をかけて東京都心まで度々遊びに行くようになった。
 
その後、上京して東京の服飾専門学校・バンタンデザイン研究所に通い始めたが、わずか4カ月で学校を離脱する事になり、アルバイト生活をスタート。
 
バイト生活をしながら都心のディスコに頻繁に出入りする中、
原宿のカリスマとして有名なMILKの大川ひとみと出会って気に入られ、
彼女の仕事を手伝うようになった。
 
その後、幅広い分野で活躍する藤原ヒロシとも出会い、
一時期、彼が経営するレコード会社のスタッフとしても働いた。
 
 
そのレコード会社で働いていた当時に服作りをはじめ、実力を伸ばしていく。
 
 
 

1994年にNEIGHBORHOODを立ち上げて裏原宿のカリスマに

 
 
1993年に文化服装学院出身のNIGOと高橋盾は共同で
東京の裏原宿エリアに「NOWHERE」という店をオープン。
 
その翌年となる1994年、滝沢氏はついに
「NEIGHBORHOOD」というブランドを立ち上げた。
 
そんな中、日本においては1990年代半ばに
ストリートファッション誌が次々に創刊されると共に
ストリート系ファッションブームが起き、
NOWHEREの二人や滝沢氏・藤原ヒロシ氏などはそのブームの中心的なデザイナーへと成長。
各ブランドの店舗は竹下通りなどがある華やかなエリアとは対照的に
地味な存在であった通称・裏原宿エリアに存在していた中、
"裏原宿のカリスマ"の1人に数えられるようになった。
 
一方、プライベートでは33歳の頃に
11歳年下(当時22歳)の眞規子さんと結婚した。
 
 
2000年代前半に入ってもストリート/裏原宿ファッションブームは
冷めやらぬ事無く、NIGO氏と共にますますその存在感を高めていった。
 
 
 

裏原宿ブームが去ってもデザイナーとして大活躍

 
 
しかし、2000年代後半に入ると裏原宿ブームは終焉。
さらに、その頃にはリーマンショックなどの問題も発生して消費が冷え込み、
たくさんの中小裏原宿ブランドが姿を消した。
 
NIGOのBAPEや滝沢氏のネイバーフッドも大打撃を受けたと言われるが
ブランドは生き残り、人気を回復。
自身が父親となった中で、子供服ラインも大成功する。
 
 
2010年代に入ると妻の滝沢眞規子氏が
30代向けのファッション誌・VERYにてカリスマモデルとして活動するようになり、その夫としても注目を集めるようになった。
(妻に密着が入ったメディアに夫が登場する事もあった)
 
 
NIGO氏同様にファッションショーには参加して来なかったが、
2018年春には東京コレクションにも初めて公式参加している。
 
 
 

 
 
 


 
 
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