芦田淳(Jun Ashida創業者)

 
参考文献
JUNASHIDA公式サイトの歴史情報や国内外の各種公式情報
 


 
長く皇室デザイナーとして活躍したレジェンド。
 
 
1930年(昭和5年)8月に、医者の息子として誕生。
 
20歳の頃からは日本を代表する画家で
ファッション関係の仕事を多く手掛けてきた中原淳一氏のもとで働く。
 
その後、1960年からは日本田を代表する百貨店・
高島屋の顧問デザイナーとして活動。
 
1964年からは自身の名を冠した
「JUN ASHIDA」ブランドのコレクション発表をスタート。
また同年には第1回東京オリンピックにおいて通訳スタッフのユニフォームをデザインするまでになった。
 
そうして国内においてハイファションデザイナーとして
大活躍していると皇室からのオファーがかかり、
1965年には浩宮様(皇太子を経て令和天皇)に関する仕事を受注。
 
さらに1966年には当時の皇太子妃である
美智子様(平成時代の皇后)の専任デザイナーとしてのキャリアがスタートした。
皇室との関係は長く続き、1976年まで10年間に渡って
美智子妃の衣装製作で大活躍し、デザイナーとしての名声がさらに高まった。
 
1971年には国内の栄誉あるファッションアワード「FEC賞」を受賞している。
 
 


 
 
一方、JUN ASHIDAブランドの活動としては
美智子妃の専任デザイナーの座から離れて直後となる
1977年に世界最大のコレクションである
パリコレクションに進出し、海外での知名度もアップ。
 
ただ、パリでお金をかけてショーを開催しても
あまり売上にはつながらないという事で、
わずかな期間を経て、欧州でのファッションビジネスは継続する一方で、
パリコレでのショー開催は行わなくなった。
 
 
国内ではデザイナーとしての価値がますます高まっていき、
1991年には紫綬褒章を授与されるまでになった。
 
1993年には、皇太子妃・雅子様のご成婚衣装のデザインも担当
 
2000年代以降は国内外にてたくさんの栄誉ある賞を次々に受賞してきた。
 
国内では東京コレクションに継続的に参加し、
同コレクションを引っ張る重鎮として活躍。
 
 
晩年に入っても現役デザイナーとして大活躍していたが、
2018年秋、肺炎により88歳で死去。
 
JUN ASHIDAブランドは、娘のデザイナー・芦田多恵氏へと引き継がれた。
 
 
 

 

 
 
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