弓・シャロ―(ユミ・シャロ―/Yumi Charraut)

 
 

生い立ちから初期キャリア

 
 
1938年に東京都心の麻布にて
東京慈恵会医大を創設した曾祖父(ひいおじいさん)、
慈恵会医大の学長である祖父、有名作家の妹である祖父、
そして父は英国の有名大学を卒業した建築家という名家の誕生し、
絵とファッションを愛する上品なお嬢様として育つ。
(もともとはお金持ちの家だったが、戦争による資産喪失で環境は激変した)
 
高校を卒業すると女子美術大学入りしたほか、
長沢節氏が主宰する洋裁学校「セツ・モードセミナー」にも入り、
ファッションデザインを学び始める。
 
1966年には付き合いがある高田賢三などに続いて渡仏し、
現地でフリーのデザイナー、イラストレーター、
またはレポーターとして活躍するようになった。
(デザイナーとしては日本でも有名な「プチバトー」のデザイナーなどとして活躍)
 
一方、プライベートでは現地にて31歳の頃に結婚して男の子を授かる。
 
 
 

東京コレクションのデザイナー時代

 
 
1984年には日本の東京ブラウス社との提携で
「カランドリエ(Calaendrier)」
というレディースファッションブランドを立ち上げ、
1980年代後半から1990年代前半にかけては
川久保玲・山本耀司・三宅一生などの国際的デザイナーや
太田記久・花井幸子・吉田ヒロミなどの国内デザイナーと共に
東京コレクションにおけるトップデザイナーとして大活躍。
 
1990年秋にはユミ・シャロ―名義で
「粋なおしゃれ」という本を出版し、作家としても活動し始めた。
 
 
 

2017年に著書が話題となる

 
2000年代に入って60代半ばを迎えると、デザイナーとして第一線から引退。
 
その後は夫ともに針で悠々自適な生活を楽しむようになり、
フランス生活が半世紀(50年)を超えた中、
2017年には弓・シャロ―名義で扶桑社から出版した
「パリが教えてくれたボン・シックな毎日」
という著書がヒットし、再び世間から高い関心を集める存在となった。
 
 
 


 
 
 
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