栗原たお(Tao Kurihara)
性別 | 女性 |
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生年月日 | 1973年生まれ |
出身校 | セントマーチンズ美術大学 |
セントマーチンズを経てトリコのデザイナーとして活躍
ロンドンの世界的な専門学校である
セントラル・セントマーチンズを卒業したのち、
川久保玲氏が率いる世界的デザイナーズブランドの企業の
株式会社コムデギャルソン入りし、
2002年にはトリコ2代目デザイナーの渡辺淳弥氏の後継者として
「トリコ(tricot)・コムデギャルソン」の新デザイナーに就任。
それにより、社長である川久保氏(トリコ初代デザイナー)より、
渡辺淳弥氏に続く存在として将来を嘱望されるようになる。
TAOコムデギャルソン時代(2005-2010)
そんな中、2005年春にはジュンヤワタナベの渡辺淳弥氏に続いて
社内で一つの独立したブランドを任される事になり、
2005年春の2005-2006AWシーズンから、
彼女のファーストネームを冠した「TAO(TAO Comme des garcons)」というレディースブランドがスタート。
そして、2005年秋における2006年春夏シーズンからは、
コムデギャルソンやジュンヤワタナベと共に
パリコレのプレタポルテ部門に参加し始める。
(若干32歳でパリコレデビューした)
2000年代後半はTAOとtricotの仕事をかけもつ多忙な状態が続いたとされる。
ちなみに、作風の特徴・エピソードとしては、
コムデギャルソンというと黒をキーカラーとしたブランド/企業ながら
こちらのTAOブランドに関しては、パリコレにおいて
完全に白い生地の作品だけを発表したような事もあった(2007SS)。
また、その他のシーズンに関しても白基調の作品がやや多め。
TAOブランド終了後
2010年秋開催の2011年春夏シーズンまで
5年間に渡って休むことなくパリコレに参加し続けてきたが、
この2011SSシーズンをもってブランドが終了し、パリコレから撤退。
その後は、トリコブランドに戻り、
同ブランドの専任デザイナーとして再始動する事になったと世界各地のメディアで報道された。
トリコの改名により新星TAOのデザイナーに
トリコラインの活躍し続ける中、
2021年秋にはTAOコムデギャルソンが復活するのではなく、
栗原たおによるトリコ・コムデギャルソンが改名し、
「TAO(タオ)」という一つのブランドとして
リニューアルされる事になり、再び国内のメディアから脚光を浴びる。
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