オッタビオ・ミッソーニ(Ottavio Missoni)

 
 
 

生年月日/生まれ年

1921年生まれ

身長

187cm

ニックネーム

Tai(タイ)

 
 
オッタビオの顔写真
 

 
 
 

生い立ちから第二次大戦時期

 
 
貴族の血を継ぐ男性で、
1921年に北イタリアのトリエステという都市にて誕生。
この都市は隣国・スロベニアやクロアチアのすぐそばに位置する。
 
(旧ユーゴスラビア地域生まれという説もあり)
 
幼少期は、息子を音楽方面に進めたい母親の方針のもと、
バイオリンを習いはじめたが、なかなか好きになる事はなく、
母親はオッタビオを音楽家に育てる事を断念。
 
音楽は好きになれない一方でことなくスポーツを愛し、
10代半ばから陸上競技の選手として頭角を現し、
学生オリンピックにイタリア代表として出場するまでになった。
 
しかし、第二次世界大戦の影響でアスリートとして満足に活動できなくなり、
戦争がはじまるとアフリカにて4年に渡り、イギリス軍の捕虜生活を味わった。
 
 
 

1953年に妻と共にMISSONIを設立

 
 
戦争が終わって捕虜生活からも解放されると、
当時20代半ばのオッタビオは再び、アスリートとしての本格的な活動を開始。
 
熱心なトレーニングは少しずつ結果として現れるようになり、
1947年には国内の大きな大会にて好成績を収める。
 
翌1948年には英国・ロンドンで開催されたロンドンオリンピックに出場し、
メダル獲得はならずも五輪でも入賞という好成績を残した。
 
そのロンドン五輪期間中には、
ミラノ出身でアスリートとしてロンドン留学をしていたロジータ(1931年)と現地で出会い、
その後、二人は10歳という年の差を乗り越えて交際へと発展。
 
さらに長い交際期間を経て結婚した。
結婚後の1953年、

  • オッタビオ・ミッソーニ
  • ロジータ・ミッソーニ(Rosita Missoni)

の2人はニット工房を立ち上げ、MISSONIブランドビジネスが産声を上げる。
 
ブランド設立後もしばらくオッタビオはアスリートとしての活動も継続していた。
しかし大きな怪我で1954年に競技生活を撃つ事になり、
そこからは妻と共にファッションビジネスに専念。
 
1960年代後半からは旧ミラノコレクションも参加しはじめ、
この頃からはイタリアや欧州系のメディアだけでなく、
北米系メディアからも高い注目を集めるようになり、
アルマーニやヴェルサーチに先駆けてイタリアファッションの
世界的な評価向上に大きく貢献。
 
 
 
 
日本でも1970年代から高い人気を得るようになり、
一家で大好きな日本を訪問した事もある。
 
1980年代に入るとミラノコレクションに中心的ブランドとなり、
小規模にスタートさせたMISSONIを
イタリアを代表するファッションブランドへと育て上げた。
 
引退して息子たちにビジネスを託したのち、
2013年5月、自宅にて92歳で死去。
 
 
2021年には生誕100周年を記念してブランド側が様々な情報発信を行い、
日本を含めた世界各地にてその存在が脚光を浴びた。
 
 
 

 

 
 
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