オッタビオ・ミッソーニ(Ottavio Missoni)
生年月日/生まれ年 | 1921年生まれ |
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身長 | 187cm |
ニックネーム | Tai(タイ) |
オッタビオの顔写真
ご冥福をお祈りします。RT Ottavio Missoni (オッタビオ・ミッソーニ) 死去 http://t.co/gBZLHzdqdz via @THEFASHIONPOST pic.twitter.com/D2yPOsCRNc
— The Fashion Post(ザ・ファッションポスト) (@THEFASHIONPOST) May 10, 2013
生い立ちから第二次大戦時期
貴族の血を継ぐ男性で、
1921年に北イタリアのトリエステという都市にて誕生。
この都市は隣国・スロベニアやクロアチアのすぐそばに位置する。
(旧ユーゴスラビア地域生まれという説もあり)
幼少期は、息子を音楽方面に進めたい母親の方針のもと、
バイオリンを習いはじめたが、なかなか好きになる事はなく、
母親はオッタビオを音楽家に育てる事を断念。
音楽は好きになれない一方でことなくスポーツを愛し、
10代半ばから陸上競技の選手として頭角を現し、
学生オリンピックにイタリア代表として出場するまでになった。
しかし、第二次世界大戦の影響でアスリートとして満足に活動できなくなり、
戦争がはじまるとアフリカにて4年に渡り、イギリス軍の捕虜生活を味わった。
1953年に妻と共にMISSONIを設立
戦争が終わって捕虜生活からも解放されると、
当時20代半ばのオッタビオは再び、アスリートとしての本格的な活動を開始。
熱心なトレーニングは少しずつ結果として現れるようになり、
1947年には国内の大きな大会にて好成績を収める。
翌1948年には英国・ロンドンで開催されたロンドンオリンピックに出場し、
メダル獲得はならずも五輪でも入賞という好成績を残した。
そのロンドン五輪期間中には、
ミラノ出身でアスリートとしてロンドン留学をしていたロジータ(1931年)と現地で出会い、
その後、二人は10歳という年の差を乗り越えて交際へと発展。
さらに長い交際期間を経て結婚した。
結婚後の1953年、
- オッタビオ・ミッソーニ
- ロジータ・ミッソーニ(Rosita Missoni)
の2人はニット工房を立ち上げ、MISSONIブランドビジネスが産声を上げる。
ブランド設立後もしばらくオッタビオはアスリートとしての活動も継続していた。
しかし大きな怪我で1954年に競技生活を撃つ事になり、
そこからは妻と共にファッションビジネスに専念。
1960年代後半からは旧ミラノコレクションも参加しはじめ、
この頃からはイタリアや欧州系のメディアだけでなく、
北米系メディアからも高い注目を集めるようになり、
アルマーニやヴェルサーチに先駆けてイタリアファッションの
世界的な評価向上に大きく貢献。
日本でも1970年代から高い人気を得るようになり、
一家で大好きな日本を訪問した事もある。
1980年代に入るとミラノコレクションに中心的ブランドとなり、
小規模にスタートさせたMISSONIを
イタリアを代表するファッションブランドへと育て上げた。
引退して息子たちにビジネスを託したのち、
2013年5月、自宅にて92歳で死去。
2021年には生誕100周年を記念してブランド側が様々な情報発信を行い、
日本を含めた世界各地にてその存在が脚光を浴びた。
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