イネス・ド・ラ・フレサンジュ(Ines de la Fressange)

 
ユニクロとのコラボラインの存在により、日本で注目を集める人物
 
 
生年月日=1957年8月11日生まれ
国籍/出身=フランス
 
 

生い立ちからモデル時代

 
 
華麗な経歴をもつコロンビア系フランス人(貴族)の家系に生まれ、
名家のお嬢様として少女時代を過ごす。
(母は元モデル)
 
その後、プロのモデルとなり、
パリコレにおいて高田賢三創設の
KENZOのランウェイモデルとして1980年前後に活躍。
 
1982年にドイツ出身の世界的デザイナー、
カール・ラガーフェルドがCHANELのデザイナーに就任すると、
彼からのオファーにより、同メゾンの専属モデルに就任。
 
そして、1983年から1990年まで世界一のトップモデルとしてパリで大活躍。
(シンディー・クロフォードなどより前に活躍した、スーパーモデルの先駆け)
 
しかし、カール・ラガーフェルドの衝突により、
1990年にシャネルの仕事を離れる事になり
そのままモデル業も引退して主婦として穏やかな生活をおくるようになった。
 
 
 
CHANEL専属モデル時代のINES

 
 
 
新人時代の恩人である高田賢三が亡くなった際の追悼インスタ投稿
(写真はKENZOのショーに初めて出演した際の写真であるようです)

 
 

 
 
 

デザイナーとしてパリモード界に復帰

 
 
5年以上に及ぶオフを経て、
創作活動に対する熱意が湧いてきたイネスは
1990年代後半に入り、自身の名を冠した
「Ines de la fresange」
というレディヘスファッションブランドを立ち上げ、
モデル業を経てデザイナーとしてもパリコレデビューを果たす。
 
Inesブランドのデザイナーとしてパリコレに参加した時期はそんなに長くはなく、
2000年代に入る実業家として幅広く活動するようになったほか、
モデル業にも復帰し、まれに世界的なブランドのショーにもゲスト出演。
 
かつて大喧嘩をしていたカール・ラガーフェルドとも仲直りし、
パリコレにてCHANELのショーにゲスト出演するまでになった。
 
 
 
 
 

ユニクロ(ファーストリテイリング)との契約により、日本で話題の人に

 
 
実業家・ベテランモデルとして成功した時期を経て、
2014年には世界有数のアパレル企業である日本のファーストリテイリングと契約。
ISSEY MIYAKEの2代目デザイナーを経て
ファーストリテイリングのスタッフとなった滝沢直己氏と共に
「ユニクロ×イネス・ド・ラ・フレサンジュ」
というコラボラインのデザイナーとして活躍。
 
それにより、日本での知名度が一気に高まった。
 
なお、近年はデザイナーとしての活動が中心で
モデルとしてはほとんど活動していないが、
パリコレなどの会場にはゲストとして度々姿を現している。
 
 
 
 
 
高田賢三氏とは特に仲が良く、日本びいきの女性としても知られる

 

 

 
 
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