ポール・スミス(Paul Smith)
名前的には日本で最も有名な海外ファッションデザイナーであるものの、
いちいち凄さがよく知られていないと言われる英国人デザイナー、
ポール・スミス氏の事を知りたい人向けの詳しい経歴・プロフィール情報。
- 性別
- 男性
- 出身
- 英国/イングランド
- 生年月日
- 1946年7月5日生まれ
顔写真(右側)
【写真45枚】レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが来日 40年来の友人ポール・スミスとの会見レポート公開 http://t.co/ZlUfoayA20 pic.twitter.com/wWoBHkDbKa
— FASHIONSNAP.COM (@fashionsnap) October 7, 2014
生い立ちから初期キャリア
英国・イングランドの中央部に位置するノッティンガムの出身。
少年時代は「ツール・ド・フランス」に出場できるような
プロのロードレーサー(自転車選手)を目指していたが、自身の負傷が原因でその道を断念。
プライベートでは21歳の頃にポーリーン・デニア(Pauline Denyer)と言う、
ノッティンガムで美術教師をしていた女性とパートナー関係になる(籍は入れず)。
そのポーリーンが学校の生徒を連れて本場のオートクチュールを視察するために
パリに向かった際、ポール氏も一緒に出掛け、様々なトップブランドのオー
クチュールショーを観覧する機会に恵まれた。
そして、新たな道を模索していた中で本格的に国際的なファッションデザイナーを目指すようになる。
20代前半であった1970年の秋、
地元・ノッティンガムに自身の小さな店をオープンしてキャリアをスタート。
1970年代半ばの時点ではまだミラノコレ/ロンドンコレ/NYコレが正式には存在せず、
正式にファッションウイークを開催しているのはフランスのパリだけだった状況の中、
世界中のバイヤーに自分の作品を見てもらうにはパリに行くしかないと思い、
1976年にはパリに進出してはじめてのメンズファッションショーを開催。
なおその頃からパートナーのポーリーン氏は夫のポール氏を仕事面でも支えてきた。
1980年代・1990年代
それ以降、年2回のパリコレ(メンズ)に定期的に参加する中で
1980年代に入ると
- ヴィヴィアン・ウエストウッド
- キャサリン・ハムネット
といった同世代の人物と肩を並べる世界的な英国人デザイナーの1人へと成長。
川久保玲などと並び、その卓越したビジネスセンスも高い評価を受ける。
世界各地に進出していき、1980年代には日本の大手商社である伊藤忠商事と契約して日本での本格的な展開もスタート。
なお、レディースのショーはパリコレではなく
1980年代半ばに発足したロンドンコレクションにて開催してきた。
日本好きな彼は日本でのライセンスブランド事業に力を入れてきたが、
他の海外ブランドに比べて低価格な価格帯である事も功を奏し、
メンズノンノなどを愛読する若い男性層の間で絶大な人気を誇るブランドに。
また日本のメディアにも度々顔を出す中で、ボール氏は日本で最も有名な海外デザイナーとなった。
1994年には長年の功績が英国王室に認められ、
ヴィヴィアン・ウエストウッド(1992年受勲)に続いてエリザベス女王から
大英帝国勲章「CBE」を受勲。
2000年代以降
私生活では1967年からパートナー生活をスタートしたものの
30年に渡って籍を入れていなかったポーリーンとの結婚式を挙げる。
2010年代に入って母国の英国ファッション協議会が
ロンドンコレクションへの有力デザイナー招致に力を入れるようになってからは
レディースだけでなくメンズに関しても一時期ロンドンにてコレクション発表を行っていた。
(その後、再びパリコレの公式日程内に復帰)
2020年にはデザイナー生活50周年を迎えたが、
この国民的な英国人はトニー・ブレア元首相といった政治界の大物、
ジミー・ページをはじめとする音楽・俳優界の大物を顧客に抱える。
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