平田暁夫(AKIO HIRATA)

 
 
1925年(大正14年)1月生まれ。
長野県出身。
 
10代半ばから東京・銀座の帽子店で働きだし、30歳の頃に独立。
1955年に「アトリエ・ヒラタ」を設立。
その後、1962年から3年間に渡ってファッションの都・パリで技術を学んだのち、帰国。
 
帰国後は、表参道に「オートモード・ヒラタ」を設立。
また、皇室御用達デザイナー・芦田淳氏との付き合いの中で、
美智子皇后と知り合い、皇后の帽子デザイナーとして活躍。
 
彼が作る美智子皇后愛用の小さな帽子は、国民の間で大きな話題となった。
 
1971年からはオートモード(高級婦人帽子)作りの後継者を育成するため、
「平田暁夫帽子教室」を開催しはじめる。
 
また、1980年代に入ると、
YOHJI YAMAMOTO(山本耀司)
COMME DES GARCONS(川久保玲)
といった新興パリコレブランドがコレクションで服と共に発表する帽子制作を任されるようになった。
 
 
1991年には第9回「毎日ファッション大賞」にて
鯨岡阿美子賞という部門賞を受賞した。
(この年の大賞は小西良幸氏が受賞している)
 
 
2011年には約70年に渡る輝かしいキャリアが高く評価され、
第29回・毎日ファッション大賞にて最高賞である「大賞」を受賞。
これにより、若い世代にもその名がとどろいた。
さらに、2013年には第5回「ものづくり大賞」に内閣総理大臣賞を受賞する。
 
晩年まで活躍していたが、2014年3月に89歳で死去。
2月後の「送る会」には美智子皇后も参列。
 
 
 
 

娘の平田欧子(Ohko Hirata)さん

 
1964年生まれ。
平田氏の長女。
父がパリで修業をしていた時期に現地で生まれる。
 
1986年に多摩川大学の外国語学科を卒業。
1989年に「オートモード・ヒラタ」に入社。
2000年代に入ると社内にて自身のブランド
「H.at(エイチ・エイチティー)」を立ち上げる。
 
父が亡くなった2014年からは
「Akio Hirata」
のデザイナーの座に就く。
(「H.at」ブランドのデザイナーも兼任)
 
 
 
 

 

 
 
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