鈴木三月(Yayoi Suzuki)
ショップチャンネル「ミニマライズ・プラス(Minimalize+Plus)」のデザイナーとして話題の鈴木三月さんとは一体どれほどすごい人であるのか知りたい人の情報。
参考文献
株式会社セ・シュエット公式サイトなど
生い立ちからエルカ時代
■役職(2020年時点)
株式会社セ・シュエット 代表取締役
http://www.c-est-chouette.com/
東京都世田谷区出身。
1979年にパリソルボンヌ大学を卒業したのち、
パリ・プレタポルテ・オートクチュール協会の日本事務所などに在籍。
1983年、高田賢三創設「KENZO」のレディース分野の
ライセンス事業などを展開していた株式会社エルカに入社。
そしてKENZOブランドの広報スタッフとして世界の高田賢三氏との付き合いがスタート。
年2回のパリコレ開催時は、KENZOブランドの日本における広報スタッフである鈴木氏は渡仏して当時パリモード界におい栄華を極めていたKENZOのショーを生で観覧するようになる。
1991年にパサバ(のちのセ・シュエット)を立ち上げ、より高田氏と密接な関係になる
1990年に7年間務めてきたエルカ社を退職した鈴木氏は自分の広報会社設立を考えていた。
一方、この時期の高田賢三氏はKENZOの日本事務所設立を検討していた。
そんなタイミングの中で、その会社で広報として働いてくれないか、
というオファーを受け、KENZOのスタッフとして働くのではなく、
1991年に株式会社パザパ(Pas a Pas)というアタッシェ・ドゥ・プレス(広報)を設立し、
高田氏にはこの会社と広報活動の契約を結んでもらう事になり、
外部スタッフとして引き続き、高田氏のビジネスをサポートする事に。
敏腕の鈴木氏は広報(アタッシェ・ドゥ・プレス)として
高田氏や契約ブランドからの信頼を勝ち取っていき、
1990年代半ばからは高田氏からの直接のオファーにより、
ビジネス面のサポートだけでなく、
1993年からはパーソナルマネージャーとしては高田氏を幅広くサポートするまでになった。
2000年代以降の活動
その後、高田賢三氏は1999年秋の30周年のショーをもって、
LVMHグループに買収されたKENZOブランドから離脱。
2000年からはまったく新しい人生をスタートする事になった。
そんな中、親しい関係の高田氏と鈴木氏は共同で
2000年に株式会社KENZO TAKADAを立ち上げ、
「五感公房」という高田氏の新規ビジネスや日本滞在時の生活などをサポート。
2000年代以降、さらに密接な関係となる。
なお、1991年に立ち上げた
「株式会社パザパ(Pas a Pas)」
は2011年に
「株式会社セ・シュエット(C'est chouette)」
へと社名を変更。
広報として圧倒的な結果を出し続ける中、
ワグ社の伊藤美恵氏と共にアタッシェ・ドゥ・プレス界のリビングレジェンドとして業界内で強く尊敬される人物に。
2010年代に入っても盟友・高田賢三氏のビジネス・私生活を大きくサポートし続けた。
(そんな高田氏は2020年秋に死去)
2020年秋に通販系ファッションブランドを立ち上げる
1970年代から世界のプレタポルテ(既製服)シーンを
イヴ・サンローランやカール・ラガーフェルドなどと共に
引っ張ってきた世界最高峰のデザイナー、
高田賢三氏の働きぶりを30年以上に渡って見続けてきた鈴木氏は
2020年にテレビ通販大手のショップチャンネルを販路とする
「ミニマライズ・プラス(Minimalize+Plus)」
というマダム層向けのレディースファッションブランドを立ち上げ、
60代に入ってからファッションデザイナーとしての顔も持ちあわせるようになった。
世界最高の技術をもつ人物の片腕として活躍してきた業界人によるブランドだけに、このブランドのデザイナーとしての注目度が急上昇中。
2022年2月、賢三氏との37年間を綴った
「高田賢三と私」という著書を出版。
ショップチャンネルHP内の「ミニマライズ・プラス」通販カテゴリ
https://www.shopch.jp/pc/product/prodlist/brand?brandCode=12445
商品解説のためにショップチャンネルの番組にも出演中
関連人物の詳しい経歴
- 高田賢三
- 近藤淳子・・・・・KENZOパタンナー/共同経営者
- グザヴィエ・ドゥ・カステラ・・・・・kENZO共同経営者/賢三の公私パートナー
一般的な用語(雑誌/トレンドetc)
ハイファッション系
人物/会社関連
業界誌系/業界用語
サイト内検索窓↓
(飛びたいページに即飛べます)
業界人必読(無料サンプル号あり)
Fujisan.co.jp:WWD JAPAN
[サイト内のファッション関連メニュー]