小池千枝(こいけ・ちえ)

 

小池千枝さんのプロフィール

 
 
小池氏の顔写真("花の9期生"との写真)

<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">【追悼】 高田賢三インタビュー (2017年収録)。写真は1970年代の高田賢三。松田光弘、コシノジュンコらと一緒に<a href="https://t.co/Jp8VGfHbRR">https://t.co/Jp8VGfHbRR</a> <a href="https://t.co/Axjnrj2NIL">pic.twitter.com/Axjnrj2NIL</a></p>— The Fashion Post(ザ・ファッションポスト) (@THEFASHIONPOST) <a href="https://twitter.com/THEFASHIONPOST/status/1313056439259279362?ref_src=twsrc%5Etfw">October 5, 2020</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

 
 
 
1916年(大正5年)生まれ。
 
現在の長野県須坂市にあたる地域で大正5年に誕生し、
地元の高校を卒業してから上京して東京の服飾専門学校に入学。
2年の学園生活を経て、文化服装学院にて助手として働き始める。
 
第二次世界大戦の終戦間際には戦争で夫を亡くし、
一時は長野の実家に帰っていたがほどなくして教職に戻る事になり、
東京に再び上京。
1951年には新しく設置されたデザイン科のトップに就任。
 
 
その後、娘2人を実母に預けて30代後半の頃に1954年にフランスへ渡り、
サンローランやカールラガーフェルドと同じ時期に
現地の学校で立体裁断の技術を学んで帰国。
 
 
帰国後は、

  • 高田賢三
  • コシノジュンコ
  • 松田光弘
  • 金子功
  • 山本耀司
  • 津森千里

 
をはじめとするデザイナーの卵たちに立体裁断の技術をおしえこみ、
西洋におくれをとっていた洋服づくりのレベル向上に大きく貢献。
(のちに"日本における立体裁断の母"などと称されるようになる)
 
その後、文化服装学院の副学長を経て、1983年に学院長へ昇進。
1991年に同校の学院長の座を退いてからは名誉学院長に。
 
名誉学院長になってからは様々な領域に活躍の場を広げた。
 
 
2014年に死去したが、
偲ぶ会にはたくさんの業界関係者が参加した。
 
高田賢三氏をはじめとした教え子たちは、
このあるごとに小池氏に対する敬意を口にする。
 
そんな賢三たちを育てた人物として、
海外でも「マダム・コイケ」として高い知名度を誇る模様。
 
 

 
 


関連人物
高田賢三
 
 
 
 
 

 

 


 
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