ニコラス・G・ハイエック(Nicolas G. Hayek)

 
 
参考文献
Swatchグループ公式サイトの歴史情報
SEIKO公式サイト内の社史
 
 
 

生い立ちからスイス移住までの経緯

 
 
1928年生まれ。
 
地中海に面した中東の国・レバノンの首都である
ベイルートにて誕生。
 
若い頃にヨーロッパに移住し、フランスのリヨン大学にて理系科目を学んだ。
 
スイス人の女性と結婚してからは
スイスにて、まず義理の父親の会社で働き始めた。
 
 

会社を設立してコンサルタントとして活躍

 
 
その後、1960年代に入ると自身でコンサルティング会社を興し、
その卓越したビジネスセンスにて大きな成功を収めるようになった。
 
そんなカリスマビジネスマンは、
1980年前後の時期に、日本のSEIKOが開発した安価で大量生産できる
クオーツ式腕時計により壊滅的な影響を受けていた
スイスの腕時計業界からオファーを受け、
スイス政府も絡んだ銀行グループ内の人間として
この業界を救うためにコンサルティング活動を開始。
 
そして、業界再編の一環として自らの案で

  • SSIH(オメガ・TISSOTなどが所属)
  • ASUAG(LONGINES・RADOなどが所属)

 
という2つのグループを合併させて
SMH(のちのスウォッチグループ)という新グループを立ち上げたほか、
新グループ誕生年である1983年には
クオーツ式でファッション性高く安価なSwatchという腕時計ブランドを正式に創設。
 
 
なお、SMHとは
"Societe Suisse de Microelectronique et d’Horlogerie"
の略。
グーグル翻訳での日本語直訳は
"スイス・マイクロエレクトロニクスおよび時計製造協会"。
 
 
 

Swatch並びにSwatchグループを世界的な存在へと押し上げる

 
 
彼は「一生もの」という高級機械式時計とは対照的と言える、
現代におけるファストファッションの考え方に似た、
"使い捨てに近い使われ方でも構わない"というような考え方のもと、
安くてファッション性が高いSwatchの腕時計を
格安衣料のように1人で何本も買ってもらえるような販売戦略を展開。
 
その戦略がハマり、Swatchというブランドはわずか数年の間に世界的なブランドへと成長。
また日本メーカーに押されて瀕死状態であったスイスの腕時計業界を見事に救った。
 
1988年にはSMHというグループ名を
「Swatch Group」へと改称した。
 
そして、次々にスイスの幅広い価格帯・特徴の腕時計ブランドを
次々に買収していき、
「Swatch Group」
は腕時計関連では世界最高ランクのコングロマリット(企業集団)へと成長させた。
 
また、彼の手腕によりSwatchも単一の腕時計ブランドとして世界最大規模の存在となる。
(立ち上げ10年後の1993年の時点で、年間約3000万本を売り上げるメーカーになった)
 
 
 
 

晩年の活動

 
 
その輝かしい功績が認められ、
2000年代以降はヨーロッパ各国で賞を受賞したり、名誉市民に選ばれるなどしてきた。
 
70年代半ばの頃に息子であるニコラスJrにそれまでのポジションを譲った一方、
晩年まで現役バリバリで仕事をしていたが、
2010年夏に82歳で仕事中に心不全で死去。
偉大なる人物の死去が世界中のメディアで大きく報道された。
 
LVMHのベルナール・アルノーなどと並ぶ
服飾/宝飾/腕時計ビジネス分野のレジェンド。
 
 
 
 

 

 


 
一般的な用語(雑誌/トレンドetc)

 
 
 
 


 
ハイファッション系

 
 
 


 
人物/会社関連

 
 


 
業界誌系/業界用語

 
サイト内検索窓↓
(飛びたいページに即飛べます)

 
 
業界人必読(無料サンプル号あり)


Fujisan.co.jp:WWD JAPAN

 
 
 


 
 
 
[サイト内のファッション関連メニュー]