土屋嘉雄(Yoshio Tsuchiya)
参考文献
ワークマン公式サイト内の公開資料
ふりがな | つちやよしお |
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生年月日 | 1932年9月20日生まれ |
出身地 | 埼玉県 |
生い立ちから初期キャリア
渋沢栄一の出身地として注目を集める埼玉県深谷市にて
1932年(昭和7)年に誕生。
実家は江戸時代創業の老舗呉服店であった。
地元の深谷商業高校を卒業したのち、
深谷からもほど近い群馬県・高崎市の呉服店で働く。
埼玉に戻ってきてから20代後半であった1959年、
利根川を挟んで深谷市の北隣に位置する群馬県伊勢崎市に
生地屋として「いせや」の1号店をオープンさせ、
ビジネスマンとしてのキャリアを本格的にスタート。
もともとは生地屋さんであったが洋服店としての側面が強くなっていく。
その後、衣料の格安戦略が受け入れられて店・会社の規模は急拡大。
1970年代から事業が多角化
1970年代に入るとアパレル系ショップであった「いせや」は
どんどん取扱商品ジャンルを拡大していき、
衣食住すべての領域を取り扱い、百貨店的な側面ももつ総合スーパー(いわゆるGMS)へと進化。
しかし、1974年の地方の商店街の個人店を保護するために施行された
大規模小売店舗法の影響で大規模店舗出店戦略に狂いが生じ、
1970年代後半からは「いせや」から独立して
次々に別業態を開発するようになり、
- いせやホームセンター(1978年/のちのカインズホーム)
- ワークマン(1980年/作業着専門店/1982年に株式会社化)
- セーブオン(1983年/コンビニエンス・ストア)
- オートアールズ(1984年/カー用品店)
といった新規ビジネスが次々にスタート。
それぞれが成長していせやグループ(のちのベイシアグループ)は巨大化。
1996年にはショッピングセンター「いせや」が
「ベイシア」へとリニューアル。
2020年には1代でベイシアグループ売上高1兆円を達成し、
土屋氏はアメリカの経済誌「Forbes」でも
ファーストリテイリングの柳井正氏と共に
上位に顔を出すような大きな存在となった。
ワークマンTOPとしての歴史
いせやの衣料品売り場から作業服売り場を切り離す形で
1980年に独立した作業服専門店の「ワークマン」は、
1982年に株式会社ワークマンとして分社化し、
土屋嘉雄氏は株式会社ワークマンの初代社長(代表取締役社長)に就任。
2年後の1984年には取締役会長となる。
1991年7月には会長から「会長兼社長」の座に戻り、
9カ月に渡って社長職も兼任。
その時期を経て1992年4月に会長職に戻ったが、
バブル崩壊後の1994年10月には再び「会長兼社長」のポジションに逆戻りし、
約1年半にわたって再度社長職を兼任。
兼任時期を終えて1996年5月には再度「会長」の座に。
(この時期以降は、ワークマンの社長職に逆戻りしていない)
2012年には実の甥っ子である土屋哲雄氏(元三井物産)をワークマンに招聘した。
20年以上に渡ってワークマン会長の座に君臨していたが、
2019年春に栗山清治氏から若い小濱英之氏へと引き継がれたのち、
2019年9月末をもって「取締役会長」から退任。
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