山室一幸(Kazuyuki Yamamuro)

 
 
<キャリア初期>
 
1959年生まれ
東京都出身
 
都内の名門私立大学・上智大学の理工学部で学ぶ中、
「流行通信」という当時の人気ハイファッション雑誌を見て感銘を受ける。
また個人的に大学時代から日本の国際的なデザイナーのショーを見る機会に恵まれ、
そんな中で理工系の業界ではなくファッション業界で働く事を目指し始める。
 
就職活動をする中で憧れの雑誌である「流行通信」を発行する会社に
入社出来る事になった。
晴れてファッション業界の一員になった山室氏は、
社内において精力的に活動する中、
日本のマスコミのハイファッションの報じ方のレベルの低さに憤慨し、
自分で専門のテレビ番組を作り、
クリエイター達が納得する報道を行っていく事を決意した。
 
 


 
 
<ファッション通信のプロデューサー時代>
 
山室氏は様々なテレビ局を訪問して交渉を行ったところ、
テレビ東京との話がまとまり、スポンサー探しにも成功して、
1985年秋から「ファッション通信」がスタート。
そして、同番組の看板プロデューサーとして大内順子(ジャーナリスト)と共に活躍。
(この頃はまだ20代半ばという若さ)
 
この地上波番組により、幅広い人々が
最新のパリコレクションやミラノコレクションの情報を得られるようになったほか、
インタビューを通じて世界的なデザイナーの素顔を知る事が出来るようになる。
山室氏個人としては大内氏との現地取材を通じて
数多くの世界的なデザイナーと良好な関係を築く事に成功。
 
 


 
<WWD編集長に>
 
その後、2006年からは
INFASパブリケーションズに所属して
アメリカ発祥のコレクション情報新聞「WWD」の日本版、
WWD JAPANの編集長に就任
 
以後、編集長・ジャーナリストとして幅広く活躍。
テレビなどメディア出演も多かったため、業界内ではよく顔が知られた存在であった。
 
しかし、現役バリバリで大活躍する中で2013年春に53歳の若さで急逝
あまりにも突然の出来事であったため、死を告げるニュースは業界内の人々に大きな衝撃を与える。
 
 
3月下旬に行われたお別れ会(25日)には1000人以上の人々が駆け付ける。
翌26日の告別式では、山本耀司氏が弔辞を読み上げた。
 
 
 
 


 
 
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