Worlds End(ワールズ・エンド)

 
ロンドン発祥のパンク系パリコレクションブランド
ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)
の原点となった衣料店で、
このブランドのファンやパンクロックファンの聖地となっており、
ロンドンの観光名所にもなっている店。
 
日本人観光客の中で、この店の前で写真を撮影していく人も多い。
 
インスタグラム
「#ワールズエンド」
を検索。
 
 
 
 

ワールズエンドという名前になる前の歴史

 
1941年生まれのイギリス人女性・ヴィヴィアン氏は、
一度目の結婚・離婚を経験したのち、
マルコム・マクラーレンというアートを学んでいた5つ年下の学生と出会い、
その若者に惚れて猛アタックし、彼とカップルになったほか
彼との間に子供も誕生。
 
その後、パートナーのマクラーレン氏は
ロンドン・チェルシー区のキングスロードという道路沿いにある
430番地のある店で、ひょんなことから
オーナーの替わりに店番をする事になり、
ある時期からは、元々のオーナーに替わってそのまま店を経営するようなる。
 
世界的な美術/服飾専門学校・セントマーチンズ出身のマクラーレン氏は
レコードや雑誌のほかに服を売る事を思い付き、
まず「Let It Rock」という名前をつけて
1971年から本格的な店舗経営をスタートさせた。
 
しかし1年が経過して1972年には
「Too Fast to Live, Too Young to Die」
に変更し、更に
1974年には「SEX」
1976年には「Seditionaries」
と、次々に見せの名前を変えていく。
 
このあたりから仕入れ品ではなく、
パートナーのVivienne氏と共に店のオリジナル衣料の本科的に作り始める。
一方、マクラーレン氏は店の常連だった若い男性達と共に
「セックス・ピストルズ」
というバンドを立ち上げ、パンク系の作品を店で提供する。
そして、セックスピストルズの人気と共に
店の評価やビビアン&マルコムに対する評価はどんどん向上していった。
 
しかし、1979年はじめにわずかな活動期間を経て
セックスピストルズはあっという間に解散してしまい、
パンクブームも終焉し、「Seditionaries」はしばらく閉店する事になる。
 
 
 
 

1980年に店名が「ワールズエンド(World's End)」に落ち着く

 
 
「Seditionaries」の半年の閉店期間を経て
430番地の店は「ワールズ・エンド(World's End)」
という名称でリニューアルオープンを果たした。
 
1981年からはシーズンごとにコレクション発表するブランドとなり、
パンク系のブランドではあるものの格式高いパリコレクションのプレタポルテ部門に進出。
ヴィヴィアンによる「Vivienne Westwood」というブランドは、
他のパリコレブランドとはまったく違う作風が受けて、
日本のコムデギャルソンやヨウジヤマモトなどと同時期に人気が急上昇。
 
1990年代に入ると、世界的なブランドの仲間入りを果たした。
そして、ブランドの人気が上がるごとにロンドンにある
「ワールズ・エンド(World's End)」
という店を訪れる客の数は増えていった。
 
 
 

ワールズエンドの位置

 
googleマップなどで、
「Worlds end shop london」
と検索すると、すぐに見つかります。
 
具体的な直接の所在地としては
「430 King's Rd, Chelsea, London SW10 0LJ」
と検索すればOK。
 
 
外にある、12時までではなく13時まで数字がある大きな時計がトレードマーク。
 
 


 
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