田中千代(Chiyo Tanaka)

 

 

コシノアヤコ氏などと並ぶ、

日本のファッションデザイナーの草分け。

 

 

1906年(明治39年)8月に東京都の芝区(現港区)で誕生。

父親はのちに外務大臣となる松井慶四郎氏。

 

10代後半で地理学者の田中薫氏と結婚。

1928年からは夫と共に渡欧し、欧州各地で様々な技術を習得して帰国した。

 

1932年に帰国するとカネボウのデザイナーに就任し、

ファッションデザイナーとして精力的に活動。

神戸にて洋裁グループ(田中千代学園の前身)を立ち上げて

後進の育成にも取り掛かり始める。

1937年には田中千代洋裁研究所を開設した。

 

1951年にはプロのモデルを起用したショーを開催したが、

これは日本初のファッションショーと言われている。

一方、同じく1951年には自身の名を冠した学校法人を立ち上げる。

1960年には東京に校舎が完成した。

 

2004年には2つの学校を東京に統合。

東京田中千代服飾専門学校となる。

 

 

2009年には

「東京田中千代服飾専門学校」から

「田中千代ファッションカレッジ」へと学校の名前が変わる。

 

さらに2018年には学園名から創始者の名前が外れ

 「渋谷ファッション&アート専門学校」へ学校名変更。

 

 

 

 [注記]

田中千代氏が国内で初めてショーを開催した人と

公式メディアに書かれているが、

ドレスメーカー女学院創始者の杉野芳子氏が

1935年開催したショーが初という説もあり。