斎藤和弘(Kazuhiro Saito)
参考文献
コンデナストジャパン公式プレスリリース
平凡社/マガジンハウス時代
1955年生まれ。
山形県の県庁所在地である山形市にて育つ。
1978年に国内最高ランクの難関国公立大学である東京大学を卒業。
平凡社入りして「太陽」という雑誌の編集部にて編集者としてのキャリアを開始。
その後、1981年にマガジンハウスの前身である平凡出版に移り、
同社において、若い男性ファッション誌「ポパイ」の副編集長などとして活躍。
ポパイを経て1996年、
男性向けライフスタイル誌「BRUTUS」の編集長に就任すると、
赤字続きだった同雑誌を黒字転換させて編集者としての敏腕ぶりに注目が集まる。
また1998年にはブルータスの姉妹誌として
建築系の「カーサ・ブルータス」という雑誌の新規創刊に関わった。
そしてCasa BRUTUS創刊後はブルータスだけでなく新雑誌の編集長も兼任。
コンデナスト時代(2001-2009)
2001年にはVOGUE NIPPON(のちのVOGUE JAPAN)などを発行する
コンデナスト・パブリケーションズ・ジャパン入りし、
同社の代表取締役に就任したほか、
世界中にネットワークをもつ女性向けモード誌・VOGUE日本版の編集長に、男性編集者ながら就任。
(世界的に見ると各国ヴォーグの編集長はアナ・ウインターをはじめとして女性ばかり)
そして、その卓越した能力にて、この女性向け高級雑誌の価値をより高める事に大きく貢献してきた。
(その他、男性向けライフスタイル誌「GQ JAPAN」の編集長としても活躍)
2008年には当時の副編集長であった渡辺三津子氏に編集長の座を譲り、
自身はコンデナスト社が発行する全メディアを監修する立場に。
ただしコンデナストの社長職には留任。
その後、しばらくコンデナストの社長として活躍したが、
2009年末をもって同社から離脱し、フリーのエディターに。
2010年代以降
2010年代に入ってからは、
フリーエディター/メディアコンサルタントとして活動しはじめ、
2011年に水嶋ヒロ氏と新たな紙メディアの事業をスタートした事、
2016年に「Byron」というウェブメディアをスタートさせた事などが話題となって来た。
その他、2017年までは某大学の特任教授としても活動。
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