大丸/松坂屋(Jフロントリテイリング)の歴史

 
関西系の大丸・名古屋系の松坂屋の経営統合によって誕生した
Jフロントリテイリングを構成する2社の歴史。
(2012年にはファッションビルのパルコもJフロント入りした)
 
 
 

大丸の歴史

 
Daimaru
 
 
江戸時代中期にあたる1717年に、
下村彦右衛門正啓という創業者が
京都の伏見に「大文字屋」という呉服店を開業したのがはじまり。
 
その後、江戸時代の間に江戸や名古屋に進出し、
名古屋の店は「大丸屋」と名づけられた。
(京都の店は「大文字屋」という名前であったが、江戸時代から既に世間では"大丸"と呼ばれていた模様)
 
江戸時代が終わり、明治時代末期には
株式合資会社大丸呉服店を設立。
大正時代に入ると、1000万円以上の資本金を用意して
「株式会社大丸呉服店」という組織になった。
 
 
この時期あたりから呉服店の枠を超えて、
他の大手呉服店同様に百貨店(デパート)事業に本格進出し、
昭和時代初期には会社名から"呉服店"がとれて
株式会社大丸
となった。
 
 
第二次大戦後は全国にどんどん進出していき、
1954年には東京にも進出。
(江戸時代にできた江戸店は明治時代末期に閉鎖していた)
 
 
 
 
 

松坂屋の歴史

 
大丸の創業より100年以上早い1611年に、
伊藤蘭丸祐道という人物が、
名古屋にて呉服小間物問屋を開いたのがはじまり。
(呉服系事業を発祥とする点は大丸と共通)
 
その後、「いとう呉服店」を名乗りはじめ、
尾張徳川家御用達の呉服店へと成長していく。
 
 
江戸時代中期には江戸に進出する事になったが、
この際に「松坂屋」という既存の呉服店を買収し、
江戸の店は「いとう松坂屋」となる。
 
 
江戸時代が過ぎ、明治時代末期には
上野の店を洋風建築の店にリニューアルさせ、
大正時代には「(株)いとう呉服店」という組織が発足。
同年には本拠地に名古屋発の百貨店をオープンさせる。
 
その後、名古屋店・上野店の事業は成功し、
大正時代末期には、銀座店も開業した。
 
昭和時代に初期には国内で初めてエレベーターに
エレベーターガールを配置するなど革新的な事を次々に行う。
 
 
1930年代からは全国各地に進出していき、
全国有数の百貨店チェーンに。
 
 
 
松坂屋の由来
この百貨店の場合は、松坂屋という既存の呉服店を買収した事が店舗名の由来。
ただし、買収されたもともとの松坂屋に関しては、
いつ頃・誰が開業したもので、どんな歴史を辿って来たのか明らかになっていない。
 
 

 

 


 
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