タキヒヨー株式会社とは?

 
参考文献
タキヒヨー株式会社HPの社史
 
 

タキヒヨーの歴史・会社名の由来

 
 

1700年代・1800年代

 
1751年に初代・兵右衛門が
現在の愛知県江南市にあたる地域(県北部の端)にて
「絹屋」という名の京呉服商のビジネスをスタートしたのがはじまり。
(この頃はタキヒヨーという名前とは無関係)
 
1800年代に入ると、2代目・兵右衛門が
江南市の南側に位置する名古屋地域に「絹屋」の支店を開設するなど、
少しずつ事業規模を拡大させていった。
 
1830年代に入ると兵右衛門は「瀧」という名字を名乗る事を許可される
 
江戸時代末期の1875年には「絹屋」本店が名古屋へと移転。
1888年には商号を「瀧兵右衛門商店」へと改称。
 
 


 
 

1900年代初頭から第二次世界大戦時期

 
なお1900年代初頭までは個人事業の形態であったが
大正時代であった1912年には法人化して
「株式会社滝兵商店」という会社となった。
 
1905年からは30年以上に渡って5代目・兵右衛門が
社長の座に君臨していたものの第二次世界大戦開戦の直前にあたる
1938年に社長が6代目・兵右衛門へと交替。
 
 
1943年には商号を

  • 株式会社滝兵商店

から

  • 瀧兵株式会社

へと改称。
 
 


 

第2次世界大戦終戦以降(洋装業へとシフト)

 
終戦直後からGHQによる本社ビル接収が行われたが、
10年が経過した1955年にようやく接収が解除。
 
1962年には滝兵右衛門(6代目)の急逝により、
その少し前に会社入りしていた6代目・兵右衛門の息子、
滝富夫が20代の若さで7代目社長に就任。
 
第二次世界大戦後に西洋文化が次々に日本へと流れ込む中、
呉服商として創業した瀧兵株式会社は和装事業から
洋装事業へとシフトチェンジするようになった。
 
そして、現在の
「タキヒヨー株式会社」
へと再度商号の変更を行ったのは、7代目在任中の1967年の事。
 
 

1970年代・1980年代(海外進出)

 
1970年代からは海外志向の強い滝富夫の意向により
海外進出がスタートした時期で、
1973年には富夫氏によりアメリカのニューヨークに
TAKIHYO INCが設立される。
 
その直後にはNYのトップデザイナーズブランドである
ANNE KLEINを買収(資本参加)し、1975年からアン・クラインブランドの事業を日本で展開し始める。
 
7代目社長の滝富夫は1978年の社長交代(会長就任)と共に
拠点をアメリカへと移し、タキヒヨーの経営は8代目の伊藤是介に託された。
 
 
1980年代に入るとアメリカにて滝富夫会長が
ANNE KLEINのデザイナーとして活躍していた
DONNA KARANと共に現地で会社を立ち上げ、
彼女の名を冠したDONNA KARANというブランドを創設。
 
1989年にはDONNA KARANとタキヒヨーとの契約が締結され、
タキヒヨーによるDONNA KARANブランド展開が日本にてスタート。
 
 
 

1990年代以降

 
1990年代によると滝富夫氏の手腕により、
DONNA KARANブランドは瞬く間に世界的ブランドへと成長。
 
1994年には社長が8代目の伊藤是介から9代目の滝茂夫へと交替。
この年には名古屋証券取引所の第2部に上場を果たした。
 
1995年にはイタリア・ミラノにも支店ができる。
 
2005年には東証一部・並びに名証一部に上場。
 
2011年には10代目の滝一夫が新社長に就任。
 
 
 

 

 


 
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