高島屋の歴史・店舗名由来

 

高島屋の創業期

 
江戸時代後期の1803年に、
現在の福井県敦賀市にあたる地域で
中野宗兵衛の息子として誕生した
飯田新七(いいだ・しんしち)
という人物が創業者。
(出生時の苗字は「中野」)
 
 
12歳の若さで福井から近い京都の呉服商に奉公に出る。
 
その後、26歳の時に滋賀(近江)の高島郡という地域出身の
飯田儀兵衛
という京都で米穀商(高島屋という名前)を営んでいた商人の娘、
飯田秀
と結婚し、飯田姓を名乗り始めた。
 
 
新七は結婚してから妻と独立して
義理の親の店と同じく名前である
「高島屋」
という屋号にて古着や木綿を扱う小さな店を京都でスタート。
 
 
 

呉服店から百貨店へ

 
創業者の新七は明治7年(1874年)に死去するが、
明治時代に入ると開国した中で外国人が多く訪れるようになっていき、
外国との貿易によって店の規模を拡大していった。
 
明治29年には京都南店にショーウィンドーを設置し、
百貨店事業の原型となるビジネスがスタート。
 
明治45年には京都市内に
日本発の鉄筋コンクリート造・3階建ての大型店舗が開業。
 
大正時代には関東に進出して、東京都心に店ができる。
 
大正8年には株式会社高島屋呉服店が設立し、
他の呉服店が百貨店事業をスタートさせる中、
7階建ての大阪の近代的店舗を百貨店として稼働させる。
なお大正時代に造られたこの大阪店は、
鉄筋コンクリート造であるものはもちろんの事、
エレベーター
暖房装置
換気装置
などを揃えていた模様。
 
 
 
 

昭和初期に日本橋店がオープン

 
昭和5年には百貨店事業が本格化する中、
株式会社高島屋呉服店
から
株式会社高島屋
へと商号変更を行い、
昭和8年には、のちに代表的な店舗へと成長していく日本橋店が開業。
 
 
第二次世界大戦後は国内各地・そして海外にも進出していき、
日本を代表する百貨店の一つに数えられる存在となった。
 
 
 

店舗名由来

 
上記の歴史にも登場する通り、
創業者の新七が婿入りする事となった
飯田家は近江の高島という地域の出身。
 
そして、高島地域出身という事が由来となって、
飯田儀兵衛は自分の米穀商の店を「高島屋」と名付ける。
 
飯田儀兵衛の娘と結婚して飯田姓となった
新七は独立後に実家と同じ店名の「高島屋」という店をスタートさせ、
それが、改称されることなく今日につながっている。
 
 
 

 

 


 
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