マウリツィオ・グッチ(Maurizio Gucci)

 

生年月日/生まれ年

1948年生まれ

死去年度

1995年

国籍

イタリア

肩書き

元Gucci社長(3代目)

(元)配偶者

パトリツィア・レッジアーニ・・・・離婚後にマウリツィオを暗殺

不倫相手

パオラ・フランキ/Paola Franchi

 
 

 

 

生い立ちからパトリツィアとの出会い

 
 
1948年にフィレンツェにて誕生。
GUCCI創業者であるグッチオ・グッチの孫で、
そのグッチオ・グッチの末っ子であるロドルフォ・グッチ(Rodolfo Fucci)の息子。
 
父であるロドルフォは1954年に創業者が1953年に亡くなると、
兄のアルドなどと共にグッチブランドを率いる存在の1人に。
 
1972年には、伯父にあたるAldo Gucciと共にアメリカに渡り、
1982年まで10年に渡ってNYでのビジネスを経験。
 
20代の頃にミラノにて同じ年のパトリツィア・レッジアーニと出会い、彼女と結婚。
そして、1977年に長女、1981年には次女を授かり、
しばらくは幸せな夫婦生活をおくっていたと言われる。
 
 
 

1983年にGUCCIの株式を相続/1989年に社長となる

 
1983年にグッチの株式を保有していた父のロドルフォが死去すると、
その株式を相続(会社全体の50%)すると共に、30代半ばという若さでグッチ上層部の一人に。
 
その後、3.3%の株式を保有するいとこのパオロ(ロドルフォの次男)と結託して2人計53.3%の株式を保有する図式になり、
1984年におじである2代目社長・アルドを会社から追放。
 
そして、自らはグッチの3代目社長に就任。
(おじを一緒に撃ち落としたパオロの事は、追放が済むと切り捨てる)
 
 
1980年代末にはバーレーンの投資会社「Invest Corp」に株式の半分を売却し、
この投資会社との提携関係をスタートさせ、
親族だけでなく外部から首脳陣を招き入れるようになった。
 
 
在任中の1990年、もともとは皮革ブランド系のグッチながら
アパレル分野にも本格進出してミラノコレクションに初参加させる。
なお、この時期にアメリカ人のトム・フォードをウィメンズ・プレタポルテのデザインチームに招いた。
 
私生活では1991年、パオラ・フランキというインテリアデザイナーとの不倫が原因で
もともとは仲睦まじかった妻のパトリツィアと離婚。
 
 
1993年、経営がなかなかうまくいかずに金銭的な問題を抱える中で
提携している「Invest Corp」に保有株を売却し、
創業家はグッチの経営権を失った。
 
その経営能力の低さは、元妻のパトリツィアを激怒させる・・・・・。
 
 
 

1995年に暗殺される/のちに殺し屋を雇ったのは元妻と判明

 
 
1995年3月、殺し屋の男にピストルで射殺され、40代後半で死去。
 
のちに殺し屋を雇ったのは元妻のパトリツィア・レッジアーニだった事が判明し、レッジアーニは懲役29年の実刑判決が下された。
 
その元妻は刑期が短くなって2016年に釈放されたが、
元夫を殺そうと思った最大の理由は彼の経営能力の問題であった事をメディアで語っている。
 
 
 

2021年に暗殺劇が映画化されて時の人に

 
 
2021年にイタリア系アメリカ人であるレディ・ガガが
暗殺犯のレッジアーニ役を演じる映画「House Of Gucci」が公開される事になり、
日本でも、暗殺される側のマウリツィオ・グッチが一躍脚光を浴びる事となった。
 
なお、映画には元妻のレッジアーナだけでなく、
不倫相手であるパオラ・フランキも登場する事が判明している。
 
 


 
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