ティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)

 
参考文献
サンディカ(パリコレ主催団体)公式サイト
 
 

フルネーム

Manfred Theirry Mugler

性別

男性

生年月日/生まれ年

1948年生まれ(1945年・1947年生まれ説もあり、はっきりしない)

国籍/出身

フランス

 
 

初期キャリア/1990年代まで

 
フランスの本東部のストラスブール出身。
 
10代半ばの頃にバレエ団の一員として活動したのち、
方向転換して1960年代半ばからパリでファッションの勉強を開始。
 
その後、グデュール・ピカールという会社にて社内デザイナーとして修業を積む。
 
1973年、26歳の頃に「CafédeParis」というレーベル名で独立デザイナーとしてのキャリアをスタート。
 
翌1974年、自身の名を冠した「ティエリー・ミュグレー」という
レディースファッションブランドを創設。
 
パリコレクションの・プレタポルテ部門にデビューし、
1980年代にクロード・モンタナなどと並び、
当時のパリコレにおけるトップデザイナーとして大活躍。
 
舞台分野の出身者という事もあり、
パフォーミングアート要素のある大掛かりなショー演出を特徴としていた。
 
1980年代半ばにティエリー・ミュグレー・オムというメンズラインを創設し、
パリコレのメンズ部門にも進出した。
 
1990年代に入ってもその活躍する中、
1990年代前半からはパリコレのオートクチュール分野にも進出。
 
また、香水事業にも進出してブランド価値・規模はますます拡大した。
 
1992年にデヴィッド・ボウイのイマン(スーパーモデル)が結婚した際は、
イマンが着用するウエディングドレスのデザインを担当するなど
山本寛斎同様にスーパースターの衣装デザイナーとしても活躍。
 
 

2000年代以降

 
1990年代まで世界のトップデザイナーとして活躍したのち、
2002年にアパレル事業を修了してハイファッションの世界から離れ、
その後は写真家などとして活躍。
 
なお、2010年前後からアパレル事業が復活し、
日本のイタリアのハーフであるニコラ・フォルミケッティが
後を継ぐ形でパリコレに復帰。
パリコレで大規模なショーを開催する中、
改めて、そのブランドの創業者として脚光を浴びた。
 
ミュグレー氏本人としての活動としては
パリコレデザイナーとして引退したのちも衣装デザイナーとしての活動は継続し、
晩年の2019年には「メット・ガラ」でキム・カーダシアンが着用する
ドレスの制作を行って話題になった。
 
 
2022年1月、73歳で死去。
世界中のメディアが、偉大なデザイナーが73歳で亡くなった事を報道した。
 
 
 

 
 
 


 
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