キャロリーナ・ヘレラ(Carolina Herrera)
参考文献
CFDA公式サイト
https://cfda.com/members/profile/carolina-herrera
顔写真
キャロリーナ・ヘレラが自身のブランドを退任 ヴェス・ゴードンが後継デザイナーに https://t.co/P0nFJDq4Fm #キャロリーナ・ヘレラ #ヴェス・ゴードン pic.twitter.com/V7VcfXGq7a
— FashionNetwork 日本 (@FNW_JP) February 12, 2018
性別 | 女性 |
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生年月日 | 1939年1月生まれ |
出身 | ベネズエラ |
ブランド設立 | 1981年 |
引退 | 2018年 |
生い立ち/初期キャりア
第二次世界大戦が勃発した1939年、
南米・ベネズエラの首都であるカラカスにて誕生した女性。
(日本人デザイナーでいうと高田賢三やコシノジュンコと同じ年)
父は政治家で、とても裕福な生活をしていた生粋の上品なお嬢様と言われる。
また、若い頃はココ・シャネルなどと同様にかなり美人であった事で有名。
そんな上流家庭で育った彼女は10代前半の頃に
某ブランドの芸術的なオートクチュールショーを観覧した事をきっかけとして
ファッションデザイナーの世界に興味を持ち始め、
20代となった1960年代にエミリオプッチのカラカス店で働きだす。
私生活では1950年代後半に10代の若さで結婚したが、20代半ばで離婚。
その後、30歳を前にして再婚する。
1970年代には持ち前のルックスと上品なふるまいを武器に、社交界で様々な人脈を築いた。
渡米して本格的な活動をスタート
1980年、家族と共に南米から北米アメリカのニューヨークに渡り、
1981年に40代前半という年齢で本格的なデザイナー活動をスタート。
(ダイアナ・ヴリーランドのバックアップを受けて初のショーを開催)
1980年代半ばには、J.Fケネディの娘であるキャロラインが
結婚式で着用するウェディングドレスをデザインし、そのデザイナーとして脚光を浴びる。
1987年には香水ビジネスに進出するが、
この香水ビジネスは大成功して日本でも香水ブランドとして有名になる。
ウエディングドレスやレッドカーペット衣装の制作、香水ビジネスで成功してきたほか、
2000年には最初の旗艦店をニューヨークにオープンし、プレタポルテの世界にも本格進出。
継続的にNYコレクションに参加し続ける中、
いつしかNYコレクション最高ランクのデザイナーの1人に位置づけられる存在へと成長。
*なお、細かい時期は不明ながら1992年に入社したエルヴェ・ピエールという人物は、
創業者と共に2016年までブランドのクリエーション部門トップとして活動してきた。
2018年に第一線から退く
70代に突入してもラルフローレンなどと共に現役で活躍してきたが、
80代を前にした2018年、自ら興したブランドのディレクター職を
若手のウェス・ゴードンに託し、身を引く事を発表。
それ以降は、「グローバル・アンバサダー」というポジションでブランドを見守る。
1999年以降の歴代コレクションアーカイブ
https://www.vogue.com/fashion-shows/designer/carolina-herrera
デザイナー関連映像
ニューヨークタイムズ公式ch内のインタビュー
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