パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne)

 
参考文献
PACO RABANNE ofdicial site
https://fashion.pacorabanne.com/
The History of Paco Rabanne | PACO RABANNE ofdicial ch
https://www.youtube.com/watch?v=9FVnWOTuyvQ
 


 

生年月日

1934年2月18日生まれ

没年月

2023年2月

享年

88歳

本名フルネーム

Francisco Rabaneda y Cuervo

作風

金属などを使用したメタリックな作品が得意

 
顔写真

 

生い立ち

 
1934年生まれ。
フランスからほど近いスペイン北部・バスク地方の出身。
 
スペインの内戦の中で5歳の頃に軍人の父を亡くす。
 
そして、国内情勢が厳しい中、
幼少期にバレンシアガのスタッフであった母と共に隣国のフランスへ移住。
(バレンシアガはスペイン発祥の世界的パリコレブランド)
 
フランス移住後は現地にて本名ではなく
Paco Rabanneを名乗るようになった。
 
若い頃はパリの美術学校で建築を学んでいたが路線変更し、
30代に突入した1965年、自身のフランス名を冠したファッションブランドを設立。
 
 

現役時代(1966-1999)

 
1966年に金属(metal)やプラスチックといった奇抜な素材を用いた
オートクチュールの前衛的なファーストコレクションを発表し、
ファッションデザイナーとして本格的に活動しはじめた。
 
同年のセカンドコレクションでは
音楽をショーに用いたダンサブルなショーを開催して話題になる。
 
ただ、あまりにフランスのデザイナーとは違う奇抜で斬新すぎる作風・ショー演出だっただけに、
デビュー当初は生前のココシャネルより
パコ・ラバンヌはクチュリエではない。彼はmetal worker(金属細工職人)だ
と批判されるなど、当初は現地の一部重鎮たちから作風を受け入れてもらえなかった模様。
しかし海を越えたアメリカでは当初から高く評価されていた。
 
1968年からは香水事業もスタート。
(その後、香水事業はブランドの重要な柱の一つへと成長する)
 
一部の批判を乗り越えて1970年前後から大きな発展を遂げる。
 
 
1988年にはパリコレに初めて参加し、
1990年代以降はパリコレにて高い注目度を誇るブランドへと成長。
(プレタポルテ・オートクチュール両分野で成功)
 
クリストパル・バレンシアガなどと並ぶ
スペイン系の世界的パリコレデザイナーへと駆け上がったのち、
60代半ばを迎えた1999年夏発表のオートクチュールコレクションをもって引退。
 
 
 

引退後のブランド/2023年に死去

 
創業者が引退したのちしばらくパリコレから撤退していたが、
2005年にPatrick Robinsonというアメリカ人男性デザイナーを招聘し、
本格的なコレクション発表を再開。
 
その後、デザイナー交代を何度か繰り返してきた。
 
2010年代後半に入るとバスティアン・ダグザンという敏腕社長によって
ブランドのリブランディングを行ったが
この戦略が成功して若い世代のファンが急増。
それにより、創業者に対する新世代からの注目度も急上昇。
 
 
2023年2月3日、フランスのブルターニュ地方において死去。
88年の生涯に幕を下ろした。
 
 
 
 

関連映像

 
 
The History of Paco Rabanne | PACO RABANNE ofdicial ch

 
 
 
Lauded fashion designer Paco Rabanne dies at age 88

 
 


 
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