ジュリー・ドゥ・リブラン(Julie de Libran)

 
 
参考文献
パリファッションウイーク公式サイト
https://www.fhcm.paris/en/house/julie-de-libran
ブランド公式サイトの公式プロフィール
https://www.juliedelibran.com/about
 


 
 

性別

女性

出身

フランス

生年月日

非公開

 
 

生い立ち/イタリア系メゾン時代

 
 
南仏のエクサン・プロヴァンス(マルセイユ付近)出身女性デザイナー。
 
1980年にアメリカ西部の仮ふぉねニア州・サンディエゴに移住。
そこで10年間生活し、西欧出身の彼女はアメリカ西海岸の文化に浸った。
 
その後、ヨーロッパに戻り、
ミラノのマランゴーニ学院
パリのEcole de la Chambre Syndicale de la Couture
という2つの世界的なファッションスクールで学ぶ。
 
学生生活を終えたエリートの彼女は、
まずミラノにて1991年から1994年まで
当時Diorのデザイナーも務めていたイタリア人、ジャンフランコフェレのもとで働く。
1996年には、ヴェルサーチからオファーを受け、
生前のジャンニ・ヴェルサーチのアシスタントとして1996年まで働いた。
 
その2年後、今度はPRADAに移籍して
1998年から2008年までミウッチャ・プラダ率いるPRADAにて
ウィメンズ既製服(プレタポルテ)部門のスタッフなどとして働き、
ミウッチャの右腕として大活躍。
 
 

フランス系メゾン時代

 
 
15年以上に及んだイタリアでのデザイナー生活を経て2008年・母国のフランスに渡り、
今度は、当時マークジェイコブスが率いていたLouis Vuittonのウィメンズ部門にてマークの右腕として活躍。
(デザインスタジオの責任者まで登りつめた)
 
6年間、ルイヴィトンで働いたのち、
業績不振に陥っていたバリの高級ブランド・ソニアリキエルからオファーを受け、
2014年に同ブランドの単独アーティスティックディレクター(デザイナー)に就任。
(PRADA・Louis Vuitton時代は裏方で、ソニアリキエルを通じて表舞台に初登場)
 
そこから5年に渡ってソニアリキエルのデザイナーとして活躍したのち、2019年春に退任、
(その直後、ソニアリキエルは経営破綻して世界中で大ニュースに)
 
 
 
 

2019年に自身のブランドを立ち上げてパリコレ参加

 
退任から数カ月して自身の名を冠したオートクチュール系ブランドを創設。
 
そしてパリオートクチュール2019AW期間外に
単独でのデビューコレクションを小規模で発表。
 
その後、パリの組合(サンティカ)からゲストメンバーとして認められ、
2020年代からは公式日程内でパリコレのオートクチュール部門に参加。
 
以後、コロナ禍においてランウェイショー形式/プレゼンテーション形式でのコレクション発表を続けている。
 
 
 
VOGUE RUNWAY ソニアリキエル歴代コレクション
https://www.vogue.com/fashion-shows/designer/sonia-rykiel
VOGUE RUNWAY 「Julie de Libran」歴代コレクション
https://www.vogue.com/fashion-shows/designer/julie-de-libran
 
 
 
デザイナー登場の公式映像

 
 


 
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