ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)

 
 

生年月日は?

1934年7月11日生まれ

国籍/出身は?

イタリア

出身校

ミラノ大学(中退)

前職は?

百貨店バイヤー

評価

歴代イタリア人デザイナーの中で最も成功した人物

デザイナーとしてだけでなくビジネスマンとしての能力も高い

 
 
 

初期キャリア/チェルッティ時代

 
1934年にイタリア北部に意図するミラノ近郊の街・ピアチェンツァにて誕生した男性。
 
もともとは医者を目指していてミラノ大学の医学部に進学した彼であったが、
卒業する事はなく、3年で中退。
 
1957年に「リナシェンテ」というミラノの百貨店スタッフとなり、
ディスプレー分野で活躍したほか、メンズ部門のバイヤーとしても活躍。
(この時期に、アパレル業界との接点が生まれる)
 
1964年にはミラノ系のトップデザイナーである
ニノ・チェルッティ氏からのオファーを受け、
セルッティグループのブランド「ヒットマン(Hitman)」のメンズデザイナーとして活動。
30代を迎えてからようやくファッションデザイナーとしての道を歩み始めた。
 
 

1975年にアルマーニ設立

 
1970年までセルッティ社で修業を積んだのち独立。
 
1975年に紳士服系ブランドとして「ジョルジオ・アルマーニ」を立ち上げ、
40代に入ってようやく自身のブランドを持った。
 
1981年には若者向けの「エンポリオ・アルマーニ」を立ち上げたほか、
1980年代に事業の多角化を進めたほか、
ミラノコレクションにも参加し始め、
1980年代後半ともなると、イタリアを代表する高級ファッションブランドにまで成長。
 
1990年代に入るとレディースブランドとしての地位も高まり、
ブランド価値はますます高くたかまったほか全ての事業を成功させ、
川久保玲氏などと並ぶ優秀なビジネスマンというイメージも強まる。
 
 
 

2005年にパリコレ・オートクチュールに参入

 
2004年に70歳を迎えたアルマーニ氏であるが
守りに入る事もなく若手にデザイナー職を譲るでもなく、
2005年にはオートクチュールラインの
「ジョルジオ・アルマーニ・プリヴェ(Prive)」をスタート。
 
そして、パリコレクションのオートクチュール部門に参加し始め、
長くミラノコレクションにしか参加して来なかったが
70代を迎えてパリコレデビューを果たした。
 
 
2014年に80歳を迎えてからも、現役バリバリでミラノ・パリにて活躍。
 
 
 


 
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