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米山稔(Minoru Yoneyama)

 
参考文献
ヨネックス公式サイト内の会社沿革など
 


 
顔写真

 

初期キャリア

 
 
大正13年(1924年)の秋に、
現在の新潟県長岡市に当たる地域にて誕生。
 
第二次世界大戦では沖縄での捕虜生活を経験。
その後、復員して終戦の翌年にあたる昭和21年(1946年)、
20代前半の若さで木製漁業用具の製造販売業を新潟で興す。
 
 
しかし技術革新の中で様々なプロダクトが木製から
プラスチックなど別の素材にリニューアルされる中でしばらく苦しんだ。
 
戦後の苦しい時期を乗り越えて日本経済が復活すると各地でスポーツブームが起き、
そんな中で昭和32年(1957年)、サンバダという大きな会社のOEM/下請けという形で
バドミントンラケットの製造事業に進出。
 
ラケット事業が成功して1958年には
株式会社米山製作所を設立し、事業を法人化させた。
 
1961年にはサンバダ社が倒産したため、
この時期からは「ヨネヤマ」ブランドでラケットを製造し始める。
また、この年には東京営業所も開設した。
 
 
ラケット製造会社という側面が強まる中、
1967年には株式会社米山製作所という商号を
「株式会社ヨネヤマラケット」に改称。
そして、1969年にはテニスラケット事業に進出。
 
 
海外事業が本格化する中、YONEYAMAは海外の人が発音しにくい
という事を受け、ブランド名を「YONEX」に改めると共に
株式会社ヨネヤマラケットという商号を
「ヨネックススポーツ株式会社」改称。
 
1970年代には様々な世界的テニスプレーヤーと契約し、世界的なブランド力が飛躍的に向上。
 
 

1982年にようやく社名が現行のものとなる

 
何度か社名を変更してきた中、1982年にヨネックススポーツ株式会社から
「ヨネックス株式会社」へと変更し、この時期にようやく現在の社名となった。
またこの年には、バドミントン・テニスに続いて、
第3の事業として、ゴルフ分野にも進出。
 
1980年代には日本国内の各地に営業所を新規開設して
国内での勢力を拡大したほか、海外拠点も増加。
 
1990年代に入るとバルセロナ五輪にてYONEXが
公式競技用品サプライヤーに選ばれたほか
プロテニスの世界では契約していたモニカ・セレシュが
女王に君臨してYONEXブランドはバドミントン・テニスの世界で不動のものとなった。
 
 

1997年に第一線から退く

 
1994年には会社が東証2部に上場。
 
1995年には大ブームとなっていたスノーボード事業にも進出するなど
時代を先読みするのが得意な事などを活かして
ヨネックスを一代で世界的なスポーツ企業へと押し上げた稔氏ながら
70代前半を迎えた1997年、米山宏作氏の新社長に据え、自らは会長に退く。
 
21世紀に入っても長生きしていたが、
2019年11月、故郷・長岡の病院にて老衰により死去。
95年の人生に幕を下ろした。
 
 
 
 


 
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