成宮雄三(Yuzo Narumiya)
参考文献
著書の作者プロフィール情報
ふりがな | なるみや・ゆうぞう |
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生年月日 | 1936年生まれ |
出身 | 広島県 |
性別 | 男性 |
出身大学/学歴 | 慶應義塾大学 |
評価 | 子供服分野の経営者として歴史的に最も活躍した人物の1人 |
生い立ち/高島屋時代
昭和11年に広島県の広島市内で呉服屋の息子として誕生。
1955年(昭和30年)に地元の広島大学付属高校を卒業したのち上京し、
東京の名門私立大学である慶應義塾大学に入学。
1959年春に慶応大学の法学部を卒業すると
翌4月に百貨店大手の(株)高島屋に入社。
入社5年後となる1964年の秋からはニューヨークに赴任し、
高島屋のニューヨーク支店で仕入れ・人事・ショップマネージャーなどの様々な役職/業務を経験。
5年半にわたるNY駐在を経て1970年(昭和45年)春に帰国してからは
日本国内で商品本部のスタッフとして活躍。
家業に入って1991年にナルミヤインターナショナルを設立
16年に渡る高島屋での修行生活を経て
1975年(昭和50年)の2月に株司会者高島屋を退社すると
翌月に家業で家族が経営していた(株)成宮織物に入社。
1982年には日本を代表するデザイナーの池田ノブオ氏とタッグを組んで
「K-FACTORY by NOBUO IKEDA」という会社のオリジナル子供服ブランドを
慣れ親しんだアメリカのニューヨークで発表し、この事業を成功させる。
その後も様々な子供服事業を成功させ、
会社のアパレル部門を独立させるような形で
「株式会社ナルミヤ・インターナショナル」を1991年に立ちあげ、
その会社の代表取締役社長となる。
子供服事業に特化した新会社を1990年代のうちに
子供服市場において絶大な地位を占める存在へと育て上げ、
ユニクロ(少品種大量生産)とは対照的、
そして、しまむらのような多品種小ロット戦略で
- エンジェルブルー
- メゾピアノ
- ポンポネット
など多数の年齢別ヒットブランドを育て上げ、
国内有数の優れた経営能力をもつアパレル経営者として一躍脚光を浴びた。
絶頂期にあった2000年代半ばには著書も好評を博してロングセラーとなる。
2000年代後半以降
2000年代半ばまでは会社の業績が絶好調であったものの
- 子供の数の減少
- 百貨店の衰退
- 2007年の世界的な経済危機(サブプライム問題)
- アパレル市場の流行り廃りの早さ
などを要因として優れたビジネスマンの成宮氏をもってしても
会社の衰退を止められない状態に陥り、2008年3月に社長を退任。
繊維会社出身の岩本一仁氏社長を託した。
しかし、2008年秋にリーマンショックという
サブプライムローンを遥かに超える経済危機が起こった事もあり、
2代目社長の岩本一仁も会社を立て直す事ができず。
創業者の雄三氏は社長を退任してから名誉会長職で会社に留まっていたが、
2009年に名誉会長職からも離れて会社から完全に離脱。
その後も会社の迷走は続き、
SBIキャピタルという会社の支援の中でも低迷から抜け出せない中、
カリスマ経営者から経営を引き継いでポイント社(現アダストリア社)の
社長として大活躍した経験をもつ石井稔晃氏を新社長として招き入れる。
それにょって会社の業績は少しずつ安定していき、
2018年には石井氏指揮のもとで株式市場に再上場している。
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