山本未來(Mirai Yamamoto)

 
参考文献
https://www.t-poche.jp/artist/yamamoto_mirai/
http://www.kansai-y.com/about/
 
補足情報
もともとの芸名は山本「未来」で2000年に漢字表記を改めた
 


 

生い立ち/デビュー

 
1974年11月、当時はパリコレの新人デザイナーであった父の寛斎、
そして、もともとは服飾系の仕事をしていたという母の次女として東京で誕生。
 
名前の「未来」とは、一度目のパリコレ挑戦に失敗して失意の底にあった
父が、
再びパリコレに挑戦する気になり、
「神様、どうか僕にデザイナーとしての未来をください」
と祈っていた頃に生まれた事に由来する。
 
多忙な中でも子育てに積極的で子煩悩な父のもとで育ち、
17歳だった1992年初頭に「十五少女漂流記」という大型映画作品で女優デビュー。
 
同年にはフジテレビ系の音楽/トーク番組
「うれしたのし大好き」に出演して知名度をあげた。
 
 

1998年にブレイク/2003年に結婚

 
その後、1990年代半ばは女優として低迷していたものの、
1998年に公開された金城武出演の国際映画「不夜城」にて
見事にヒロイン役を射止め、この映画が大ヒットした事で女優としてデビュー。
 
30代を前にした2003年には人気俳優の椎名桔平と結婚し、
2010年には長男を授かる。
 
 

2019年の離婚/父の死

 
2019年に離婚してシングルマザーとなったのち、
2020年初めには父が立ち上げた会社、
株式会社寛斎スーパースタジオにプロデューサーとして入社し、
そこからは女優業とプロデューサー業、二足の草鞋を履くようになる。
 
この時に初めて父・山本寛斎と一緒に仕事をする事になったが
その直後に寛斎氏が体調を崩し、入院。
 
急性骨髄性白血病と診断されたのち、
コロナのパンデミックが起きて患者と家族の面会などが制限された中、
わずかに家に戻る機会に恵まれたが、
結局病は回復する事なく5カ月後の7月に76歳で父が死去。
 
 
死の直前に会社の今後を託されたのち、
女優として大活躍する一方、
父の死後は残されたスタッフと共にスーパースタジオのプロデュサーとして会社や店舗・地域のブランディング業務にて活躍。
 
 
 
 

 

 
 
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