伊藤蘭丸祐道/伊藤源左衛門

 
 
参考文献
https://www.matsuzakaya.co.jp/corporate/history/edo/index.shtml
https://www.j-front-retailing.com/ir/library/pdf/annual/jfrnow37.pdf
https://www.daimaru-matsuzakaya.com/company/history-matsuzakaya.html
 
 
松坂屋公式サイトの公式資料にも古すぎて生まれ年に関する
公式情報がないらしく、生まれ年は「1564年?」と記載されている。
 
若い頃は、父の祐広と共に織田信長の小姓(雑用係)として仕える。
「蘭丸」の名付け親は織田信長。
 
その信長が1580年に本能寺の変で亡くなったのち町人へと転身すると共に
名前を「伊藤源左衛門」へと改称。
まずは清須で事業をはじめる。
 
江戸時代初期にあたる1911年、
名古屋へと移り、松坂屋の前身「いとう呉服店」のもとになる呉服小間物商をスタート。
(これが日本最古の百貨店・松坂屋の起源)
 
 
しかし1615年、家業から離脱して豊臣秀頼を大将とする戦(通称=大坂夏の陣)に参加する事を決意。
その戦から帰還する事なく、大坂夏の陣にて戦死。
 
 
 

創業者死後の松坂屋(いとう呉服店)

 
 
蘭丸祐道(源左衛門)の死を受け事業は中絶したものの1965年、
彼の息子である祐基が名古屋で呉服商を再開。
 
1740年代に入ると経営する「いとう呉服店」は
尾張徳川藩ご用達の呉服商になるまで発展。
 
1768年には東京・上野の松坂屋を買収して「いとう松坂屋」として営業するようになる。
 
明治自体松末期の1910年、株式会社いとう呉服店設立。
その年には名古屋の栄地区に近代的なデパートメントストアをオープンさせ、呉服商から百貨店事業へと本格的に事業領域を転換。
 
大正時代末期の1915年、組織名を株式会社松坂屋と改称。
その後、東京と名古屋地区にて百貨店企業として大きく繁栄。
 
 
 
松坂屋名古屋店公式インスタの関連投稿

 
 
 
 

 

 
 
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