初代・長瀬富郎(Tomiro Nagase)
参考文献
https://www.kao.com/jp/corporate/purpose/history/company-history/
https://www.kao.com/jp/corporate/purpose/history/globalhistory/
https://www.kao.com/jp/kaonokao/openthekao/vol1/2/
公式文献をもとに花王創業者の人生を簡単にわかりやすく紹介。
石鹸界の柳井正(ユニクロ)的な偉人。
生年 | 1863年(文久3年) |
---|---|
没年 | 1911年(明治44年) |
出身地 | 岐阜県 |
初期キャリア
江戸時代末期の文久3年(1863年)、
現在の岐阜県中津川市にあたる地域にて
酒造業を営む家庭の息子(次男)として誕生。
12歳で故郷を離れて丁稚奉公に出たのち22歳で上京し、
和洋小間物問屋の職員となり、この店でビジネスを学ぶ。
そして1887年、24歳の若さで
せつけんや歯磨き粉などの日用品を販売する「永瀬商店」を開業。
(これが大企業・花王の起源)
花王石鹸の完成から晩年
その後、国民に質が高くて値段も手頃な石鹸を提供する!
という強い信念のもとせっけんの開発に努め、
1890年にはようやく「花王石鹸」を完成させ、販売を開始。
なお、「花王」という商品名は、公式サイトによると
「顔(KAO)も安心して洗える石鹸」という事に由来する。
1900年代初頭には原料の仕込みから包装までを行う直営工場を開設。
(ユニクロが各工程を自社で行い、良いものを大量に作って安く国民に提供するビジネススタイルとよく似ている)
明治時代末期の1911年、結核のため48歳という若さで死去。
死後の花王の発展
戦後の花王は石鹸事業だけでなく、シャンプーや洗剤といった台所・バス商品の分野にも進出。
またアジア進出を続々スタートし、各国に現地法人を設立。
1970年代に入るとアメリカ大陸・ヨーロッパ地域にも進出。
1980年前後には
- コスメ(基礎化粧品)
- 生理用品
- 洗顔料
- 入浴剤
- 紙おむつ
など、さらに事業領域を広げた。
1985年、株式会社花王石鹸は事業領域の拡大に伴い、
商号を株式会社へと改称。
2006年にはカネボウ化粧品を子会社にし、コスメ事業を強化。
トイレタリー分野の国内トップであるだけでなく、
コスメ分野でも資生堂・コーセーと肩を並べる企業グループへと進化。
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