石岡瑛子(Eiko Ishioka)
参考文献
著書の公式プロフィール情報
ふりがな | いしおか・えいこ |
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性別 | 女性 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1938年生まれ |
没年 | 2012年 |
出身校/学歴 | 東京藝術大学 |
顔写真
【テレビ】1/22(土)NHK 05時40分
— JapanDocs (@jdocs) January 21, 2022
あの人選「石岡瑛子(デザイナー)」
2012年1月に亡くなった石岡瑛子さん。映画や舞台衣装などの革新的なデザインでアカデミー賞やグラミー賞を受賞するなど、世界的なデザイナーとして幅広く活躍した。https://t.co/yaJGjGloDD pic.twitter.com/2llqULjvKf
国内時代
昭和13年に東京で誕生した女性。
1961年(昭和36年)に東京藝術大学を卒業すると、
日本の資料品メーカー「資生堂」に入社。
同社の宣伝部で活躍したのち1970年に独立。
(資生堂時代は前田美波里をスターダムにのし上げた)
独立後は国内でフリーの広告プロデューサー的なポジションで活躍し始め、
角川書店やパルコの広告などが高い評価を受ける。
その他、ファッションショーの演出なども手がけた。
アメリカに拠点を移して大活躍
1980年代に入るとアメリカのニューヨークに拠点を移してグローバルな活動を展開するようになり、
映画や音楽のアートワークス・衣装ワークの分野で活動。
そんな中、ジャズの巨匠であるマイルス・デイビスのCDジャケットデザインにてグラミー賞のアートワーク系部門賞を1987年に受賞したほか、
1990年代に入ると映画「ドラキュラ」を通じて
アカデミー賞の衣装デザイン系部門賞を受賞するまでになった。
2012年に死去
2002年、長年の功績が認められて国から「紫綬褒章」を与えられる。
2005年、講談社から「私 デザイン」という本を発表。
2008年には北京で行われた、チャン・イーモウ氏が演出の
北京オリンピック開会式にて衣装デザインのトップを務めるなど、
70代に入ってからも活躍していたが、
2012年1月にすい臓がんによって73歳で死去。
死後も偉大な石岡氏し決して世間から忘れられる事なくリスペクトされ続け、
2020年11月からは東京都現代美術館で
「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展が開催され、たくさんの人が詰めかけた。
「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展ハイライト映像(約20分)
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