久保田伸一(Shinichi Kubota)
参考文献
株式会社ニューバランス ジャパン プレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000187.000029460.html
カンブリア宮殿公式サイト
https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2023/0223/
ニューバランスの歴史
https://shop.newbalance.jp/shop/pages/guide_start.aspx
少年時代から熱烈ファンだったスニーカーブランドの日本法人社長になったという逸話をもつ話題の経営者。
今日よる11時06分~ #カンブリア宮殿
— テレビ東京 (@TVTOKYO_PR) February 23, 2023
“N”のマークでおなじみのスニーカー、#ニューバランス
子供からシニアまで幅広い層から支持されている。
日本法人を率いるのは、中学2年のときから熱烈なファンだったという 久保田伸一社長。
真っ正直な“ものづくり”の全貌に迫る! pic.twitter.com/FC7f1ej4Qx
生年月日 | 1968年2月12日生まれ |
---|---|
出身地 | 福岡県 |
学歴/出身大学 | 関西外語大学(英米語学課) |
生い立ち/ニューバランス関係者との文通の日々
昭和43年生まれ。
福岡県出身の男性経営者。
中学生だった1981年(13歳の頃)、頼み込んでニューバランスの当時の人気モデルのスニーカーを買ってもらい、靴の虜となる。
そして、様々なスニーカーブランドに問い合わせをし、
髪のカタログを送付してもらえるようにお願いをし、ほとんどのメーカーからは送ってもらえた。
しかしニューバランスだけはカタログを送ってもらえなかった中、
父親が務めていたシューズメーカー(株式会社ムーンスターの前身企業)が
アメリカのニューバランスとライセンス契約を結ぶ間柄であった縁で、
父が来日するニューバランス関係者と会う機会ができる。
それを聞いた中学生の久保田氏は
「カタログをください」という想いをしたためた手紙を書いて父に渡し、返答を待つ事に。
すると、しばらくして実際にカタログが届いただけでなく、
当時ニューバランスのアメリカ本社にて企画開発・デザイン部門のボスとしては勤務していた
エド・ノートン氏(少年からの手紙を渡された人物)からの手紙も同封されていた。
eメールが存在しなかった頃、
そこから大学時代まで9年続くエド氏との手紙のやり取り(文通)がスタート。
遠くから離れたアメリカからエド氏より様々なアドバイスをもらう中、
社会人になったらニューバランスに入って靴を作りたいという思いを強くしていき、「うちで働きたい」という思いを真剣に受けとめてくれたエド氏と深いやりとりをする中で、まずは英語をマスターするため、
一般大学ではなく1987年に外国語大学に入学。
1991年にニューバランス日本法人入社
大学に入ってもエド氏との文通を続け、
彼との関係が親密にしていった久保田氏は外国語大学時代に英語力を一気に高め、
1991年にニューバランスの日本法人である株式会社ニューバランスジャパン入社を果たす。
エド・ノートン氏が活躍してきたアメリカ本社勤務、
そして日本法人内での
- 企画
- 商品企画
- マーケティング
分野での業務を歴任したのち、
40代を迎えた2009年に日本法人の執行役員マーケティング本部長という重役に就任。
さらには2012年に日本法人の常務取締役/商品企画本部長
2014年に米国ニューバランスの重役に就任。
2010年代後半からはニューバランスの世界全体のライフスタイル事業を牽引するポジションに。
(この時期は日本法人から離れていた)
2019年に日本法人の社長就任
2019年春には、遂に日本法人の代表取締役社長という
ポジションにまでのぼりつめ、
少年時代から培ってきたスニーカーのノウハウや
ニューバランスに関する豊富な知識、
50代という若い感性を武器に他業種との驚きのコラボなどを実現し、
近年の日本におけるニューバランスの快進撃の立役者となる。
(カンブリア宮殿によるエド氏オンライン直撃取材によると、この知らせは、久保田氏の中学生の頃からのnew balance愛をよく知るエド氏を強く感動させた模様)
2023年2月にはテレビ東京系の「カンブリア宮殿」に出演し、
一躍スニーカー好きの人々だけでなく、全国の幅広い人々がその名を知る存在となった。
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