児玉一造

 
 
参考文献
https://www.toyota-tsusho.com/company/history.html
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter1/section2/item2_a.html
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter1/section2/item3.html
 
 
現在の滋賀県にあたる地域にて誕生。
 
若い頃は商社の三井物産に勤務。
(その三井物産は黎明期の不安定な佐吉の事業を支援)
その頃にトヨタグループの創設者である豊田佐吉との親交が生まれる。
 
そんな中、1910年代半ばには実の弟で伊藤忠商事のスタッフである
児玉利三郎が豊田家の愛子さんと結婚。
婿入りした事により、豊田家との関係がより深まった。
(婿入りした事により、弟の利三郎は「豊田利三郎」という名前に改名)
 
1918年、トヨタグループが「豊田紡織株式会社」を設立し、
佐吉が社長・弟の利三郎が常務に就任すると、自身は監査役に就任。
 
1920年、三井物産の棉花部が分離・独立する事が決まり、
東洋綿花株式会社(のちのトーメン)設立に深く関与。
自らは新会社の専務取締役に就任。
 
一造はその後死去するも
弟の利三郎は豊田の自動車事業が発展して
トヨタ自動車工業(のちのトヨタ自動車)が193年に設立されると、
その会社の初代社長に就任。
1941年に豊田喜一郎へとバトンタッチするまで4年間社長として活躍。
 
 
 


 
一方、一造が創設に関わった東洋綿花のほうは
戦後どんどん業績を拡大して三井物産のような総合商社へと成長。
1970年には社名を「株式会社トーメン」へ改称。
 
その後2006年、トヨタグループの商社「豊田通商」に吸収され、
トーメンという名称は消滅。
 
 
 
 

 

 
 
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