西田東作(Tosaku Nishida)

 
参考文献
株式会社ゴールドウイン公式サイト内の各種公開資料
 


 

ふりがな

にしだ・とうさく

性別

男性

生年月日

1925年生まれ

出身地

富山県

 
 
 

初期キャリア(1950年代のゴールドウインブランド誕生まで)

 
大正時代末期にあたる1925年、
富山県内で農家を営む家庭において8人兄弟の末っ子として誕生。
 
若い頃に戦争が起こり、戦時中に長男など2人の兄をなくしたほか
戦後には2番目の兄も分家で実家から去り、
20代前半の若で必然的に一家を支える必要が出てきた。
 
そんな中、自身が紡績工場で働いていた経験がある事、
東京からやってきた義理の兄がメリヤスの技術者であった事などを背景に、
昭和25年(1950年)、現在の小谷部氏にあたる地域にて
ゴールドウインの前身にあたる「津澤メリヤス製造所」を開業し、
靴下や腹巻き・セーターといったニット製品の製造をスタート。
 
開業時点では個人事業であったものの翌1951年には
株式会社津澤メリヤス製造所として製造所を法人化させた。
 
1952年には創業者の東作氏がスポーツ文化の発展の可能性を信じ、
会社を単なるメリヤスメーカーから、
スポーツウエア専業メーカーへと業態転換させた。
 
1950年代後半には大阪と東京に営業所を開設したほか
「ゴールドウイン」という名称の自社ブランドを開発し、
ゴールドウインブランドの商品の製造を開始する。
 
 

1960年代・1970年代

 
1963年には株式会社津澤メリヤス製造所という会社名を、
自社ブランド名と連動した「株式会社ゴールドウイン」へと改称し、
この時ゴールドウインという会社名が誕生した。
 
この時期にはすでに国内有数のスポーツ系メーカーへと成長しており、
1964年の第一回東京五輪ではバレーボール・レスリングといった競技の
日本代表チームの公式ユニフォームを製作し、選手団を支えた。
 
一方で、創業者の西田東作氏はヨーロッパ視察を行ったり
日本国民の可処分所得がどんどん上がっていく高度経済成長期の中で、
レジャー型スポーツである「スキー」に対して強い可能性を感じ、
1970年代からは時代を先読みして、ウインタースポーツ系事業を推進していった。
 
また1970年代に入ると札幌・仙台・名古屋・福岡といった大都市にも営業所を作り、
会社は全国各地に営業所を持つ状態になった。
 
その他、アウトドア市場の可能性にも高い将来性を感じ、
1978年からはアメリカのアウトドア系ブランド
「THE NORTH FACE」商品の輸入販売をスタート。
 
1979年には本社機能を東京へと移転させる。
 
 

1980年代・1990年代

 
 
1982年には名古屋証券取引所の第二部に会社を上場させる。
 
その他、さらなる事業の多角化を進め、スポーツイベントの協賛も行ってきた。
 
そんな中、1989年には長年の功績が認められ、
この時点ではまだ社長であった西田東作氏は国から藍綬褒章を授与されるまでになる。
 
1995年には東証2部を経てゴールドウインを東証1部上場企業へと導いた。
 
 
 

会長に退いた2000年から2012年の死去まで

 
2000年には勲四等旭日小綬章を授与されるなど、
ビジネスマンとして人間として輝かしいキャリアを築いたのち、
この年のうちに息子である西田明男氏に社長の座を譲り、
自身はゴールドウインの会長となった。
 
晩年には相談役という立場で会社に関わっていたが、
2012年秋、85歳にて死去。
 
 
父の跡を継いだ明男氏は20年に渡って社長として活躍していたが、
2020年にはノースフェイス事業で大活躍してきた創業家出身ではない
渡辺貴生氏に3代目社長の座を譲った。
 
 
 
 
 


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