オノ・ヨーコ(小野洋子)
参考文献
https://www.sonymusic.co.jp/artist/yokoono/
https://www.yopob.com/
https://www.vogue.co.jp/fashion/news/2009-09/09/onoyoko
生年月日 | 1933年2月18日 |
---|---|
初婚相手 | 一柳慧 |
2度目の結婚相手 | アンソニー・コックス |
3度目の結婚相手 | ジョン・レノン |
子供 | キョーコ(1963年生/アンソニーとの娘) ショーン・レノン(1975年生/レノンとの息子) |
主な肩書き | アーティスト ミュージシャン 平和活動家 デザイナー |
夫の結婚歴(ヨーコとの再婚前) | シンシア・パウエル(1962-1968) |
ジョンとシンシアの子供 | ジュリアン・レノン(息子/1963年生まれ) |
生い立ちと2度の結婚
昭和8年(1933年)、安田財閥創業家(安田家)の女性・磯子と
小野英輔(日本興業銀行総裁・小野英二郎)の娘として日本の東京で誕生。
名家の娘である彼女は幼少期から様々な分野の偉人とふれあい、自身も名門・学習院で学んだ。
少女時代は国際的なビジネスマンである父親の仕事の関係で日本とアメリカを行き来する生活を経験。
その後、戦後の1953年よりニューヨークのマンハッタンにて
学生生活と並行して前衛的アーティストとしての活動を開始。
23歳の頃、日本人音楽家・一柳慧と一度目の結婚。
1960年前後にはニューヨークにて若くしてアーティストとしてブレイくするが、
1962年に一柳慧と離婚して帰国。
その後、精神を病んで入院を続ける中、彼女を高く評価する映像作家、
アンソニー・コックスが日本までやってきて彼女を退院させたほか、彼と再婚。
翌1963年には彼との間にキョーコ(キョーコ・チャン・コックス)という娘が誕生。
1964年にはニューヨークに帰還。
ジョンとの3度目の結婚
1966年、ロンドンにて開催されたシンポジウムにて
当時一世を風靡していた世界のスーパースター、ビートルズのジョン・レノンと初対面。
その後、2人は互いに既婚者ながらも急接近し、
それぞれ離婚した上で1969年春に結婚。
(この頃のジョンはヨーコにゾッコンで世界中のビートルズファンにひんしゅくを
買っていたほかビートルズ解散の要因ともささやかれた)
ジョンと結婚してからは純のパートナーとしてミュージシャンとしての側面も併せもつようになり、
ビートルズ解散後は2人で「イマジン」「ハッピークリスマス」をはじめ多数の名曲を産み出す。
1970年代前半に二人の距離が離れた時期もあったが
1975年には2人の間にショーンという男の子が誕生。
移行、ジョンは主夫(ハウスハズバンド)として子守をし、
ヨーコはビジネスマンとして活動する夫婦逆転の生活に。
ジョンの死/現在
長い休養を経て夫のジョンは1980年に音楽活動をスタートさせたものの
その年の12月8日、自宅のダコタハウス前でファンを名乗る男に射殺され、
愛する夫を亡くすという悲劇を経験。
夫の仕事は抜群の知名度・影響力をいかして幅広く活動。
2000年には日本の埼玉に「ジョンレノン・ミュージアム」がオープンした事に関連し、
自らが深くかかわる「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」開催に関与。
この音楽祭は以降、長く毎年開催された。
その他2009年には若手デザイナーとのコラボでNYコレクションに参加。
2023年に90歳を迎えてからも元気バリバリで活躍。
SNS更新にも積極的で公式Xフォロワー数は2023年時点で約450万人を誇る。
服飾/美容系業界人メニュー
[各分野の業界人]
[社長/経営者系]
サイト内検索窓↓
(飛びたいページに即飛べます)
業界人必読(無料サンプル号あり)
Fujisan.co.jp:WWD JAPAN
digital-zasshi.jpトップページに戻る