塚本幸一(Koichi Tsukamoto)

 
 
参考文献
https://www.wacoalholdings.jp/group/turning_point/
https://www.wacoalholdings.jp/group/holdings/
https://www.wacoalholdings.jp/group/turning_point/grouphistory/
https://www.amazon.co.jp/dp/482059737X/
 
 


 
 

生い立ち/兵士時代/創業

 
1920年(大正9年)9月17日生まれ。
仙台出身。
(仙台生まれながら父母は共に滋賀エリアの出身で、近江商人の血を継ぐ)
旧制八幡商業卒業。
 
20代前半の頃、兵士として第二次世界大戦に参加。
戦争末期には東インドでの「インパール作戦」に加わる。
 
大量の死者を出したこのインバール作戦も生き延び、
終戦から10カ月後の1946年6月に自宅があった京都に戻ると、
悲惨な戦争を経験して、戦争の犠牲になってしまう女性に優しい/女性が輝ける社会を作るため、
自宅に戻ったその日(6月15日)から婦人洋装装身具の卸商を個人事業(屋号=和江商事)としてスタート。
これがワコールグループの歴史の原点。
 
3年後の1949年(昭和24年)11月、
従業員10名で和江商事株式会社を創立し、会社を法人化。
所在地は京都市中京区。
 

1950年代から1970年代(現役バリバリ時代)

 
1950年には高島屋京都店内に自社の婦人下着売り場を開設。
日本女性の洋装化が一気に進む中で下着を自社でデザインして
製造し、小売りまで手掛けるSPAビジネスを開始。
(ユニクロなどが行っているビジネス形態のさきがけ)
 
1957年には社屋を下京区に移転し、
商号を「ワコール(株)」に改めた。
 
第1回東京五輪が開催された1964年には
東京・浅草橋に建てたワコール・ビルに製品研究部を作り、
日本女性にピッタリ合う商品の研究をスタート。
(商号を株式会社ワコールに再度変更)
 
1950年代から1960年代にかけては全国に拠点を設置したのち
1970年代に入ると海外進出し、
ワコールが世界的メーカーになる礎を築く。
 
 

社長を引退した1980年代以降/1998年に死去

 
1987年、長男の塚本能交氏に社長業を引き継ぎ、自らは会長に。
 
退任後の1990年、勲二等瑞宝章を受章。
 
1998年、70代後半で死去。
 
 
[死後]
1987年に2代目社長となった長男の能交氏はその後、
2018年まで31年に渡ってワコール/持ち株会社の社長を務めた。
70代を迎える2018年に社長を退任してからも代表権をもつ会長の座に君臨。
パンデミック後の2022年には会長からも退任し、名誉会長に。
 
 
2023年6月、塚本氏に関する伝記本が出版され、
幅広い人々の間で話題の人物に。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
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