青井忠治(Chuji Aoi)
日本におけるファッションビル/クレジットカード事業の元祖、
「丸井/マルイ/oioi」の創業者である青井忠治の経歴情報。
近年はNHK青井実アナウンサーの祖父にあたる人物としても注目されている。
参考文献
マルイグループ公式サイト内の各種公開資料
https://www.0101maruigroup.co.jp/ci/history/
A-TOM(不動産会社)公式サイト
https://a-tom.jp/ja/company
生年月日 | 1904年 |
---|---|
没年月日 | 1975年 |
出身地 | 富山県 |
主な功績 | 1960年に日本初の「クレジットカード」を発行 日本において、庶民には有難い「分割払い」の文化を発展させた |
【青井忠治の名言】全て自分の事だと思って全力を尽くす。自分の事と思えば、どんな辛いことでも我慢できる。そして、人の喜びを自分の喜びとするhttps://t.co/aaERM4D9lT#名言 #格言 pic.twitter.com/1EFSvSliDI
— コトパワ (@kotopawa) February 4, 2022
戦前の時期
明治37年生まれ。
18歳の頃に富山から上京し、
まる月賦販売(ローン販売)を得意とする「丸二商会」にて修行を積む。
20代後半だった1931年、丸二商会からののれん分けする形で独立し、
会社の聖地である東京・中野に店を出す。
1935年には店の商号を「丸井」へと改称。
2年後の1937年には株式会社丸井を設立した
(丸井という称号は丸二商会の「丸」と、青井の「井」を組み合わせたもの)
卓越した商才にてあっという間に店を5店舗体制まで拡大させたが、
戦時中の1941年、商業活動規制の影響を受けて5店舗すべての閉鎖を余儀なくされる。
第二次大戦後(1日本初のクレジットカードを発行)
大戦後の1946年、中野に仮店舗を設けて家具の現金払いから事業を再開させる。
またたく間に事業は復興し、1950年代には中野の東側に位置する
新宿や池袋に進出した。
1950年代に入ると古巣の丸二商会が得意としてきた月賦販売に力を入れ、
一部の富裕層だけでなく幅広い人々から支持されて店・会社を大きく成長させる。
1960年初頭には「月賦」という古臭い呼称を「クレジット」と改め、
2か月後の1960年3月には日本で初めての「クレジットカード」を発行。
一方、1959年には不動産会社A-TOMの源流となる
豊島興業株式会社を設立した。
(この会社は2009年、忠治氏の孫である青井茂氏により社名が「株式会社アトム」へと変更された。現在は不動産事業のほか投資事業なども行う)
1961年から晩年
1963年には会社を東証2部に上場させる。
(2年後の1965年には東証1部に昇格)
1970年には、丸井を月賦販売(クレジット販売)の業界トップへと導いた。
1972年に退任して会長に退き、長男の青井忠雄に社長業を託す。
その3年後となる1975年、死去。
昭和を代表する経営者の一人で21世紀に入ってからも
様々なメディアでその名が取り上げられる中、年を追うごとに知名度が上昇。
2015年には同じく富山出身の作家による
「景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治」
というノンフィクション小説が発行された。
孫世代の活躍により、さらに脚光を浴びる
青井浩 | 丸井グループの3代目社長。忠治氏の長男・青井忠雄氏の息子。2005年社長就任 |
---|---|
青井茂 | 不動産/投資事業を行うA-TOM(旧豊島興業)において、2代目社長の青井忠四郎氏(青井忠治の息子/何番目の子供かは不明)から引き継いで2009年に社長となる。2015年にはフリーアナウンサーの山岸舞彩と結婚して話題の人物に。 |
青井実 | 茂氏の弟とされる(公式情報は出ていない)。丸井創業者・青井忠治氏の孫で、慶応大学を経てNHK入りし、イケメン人気アナウンサーに。茂氏同様にアナウンサー(テレ東の相内優香)と結婚。アナウンサーとして人気が高まるごとに祖父である丸井創業者に注目が集まるようになった。 |
景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治
関連人物
青井浩・・・・・2005年から社長を務める孫
服飾/美容系業界人メニュー
[各分野の業界人]
[社長/経営者系]
サイト内検索窓↓
(飛びたいページに即飛べます)
業界人必読(無料サンプル号あり)
Fujisan.co.jp:WWD JAPAN
digital-zasshi.jpトップページに戻る